山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

紅葉の談山神社まで9キロ・ウォーキング(その1)

2013年12月28日 | 寺院・旧跡を訪ねて
2013/12/1(日)、紅葉シーズンももうそろそろ終わり。今年最後の締めに、「関西の日光」談山神社へ紅葉参拝に出かけることにした。バスで行っては、単なる物見遊山。健康(メタボ)のため歩こう、と大義名分をつける。
桜井市発行の観光パンフレットに「近鉄・桜井駅から談山神社まで片道約8.8km、5時間」のハイキングコースと紹介されている。よーしこれだと、5:30 家を出、近鉄上本町駅 6:12発の急行に乗り、6:50 桜井駅に到着。天気快晴、肌寒し、心うきうき。夜があけ、しらじらとした早朝の空気はどこでも美味しいものだ。談山神社をめざし多武峰街道を、サァー歩こう!

まず駅近くの「若桜神社」に立ち寄る。小さく慎ましやかな神社ですが、古い記録では履中天皇が磐余稚桜宮を築いたとされる。ただし同じ磐余にある「稚桜神社」だという説もあり、現在でも決着がついていないようです。
次に、これも多武峰街道沿いにある等彌神社(とみじんじゃ)へ。期待してなかった神社だが、境内を周って驚いた。大変奥が広く深く、静寂さの中に落ち着いた神社で、気分を爽やかにしてくれます。訪れる人は無く、地元の方が早朝ウォーキングや散歩をされているだけ。この時期、紅葉も鮮やかで、もう少しのんびり散策していたい気分になる。
写真左の赤い鳥居をくぐれば、「鳥見山観光散策路(往復約2km)」という登山路が頂上まで続いている。この鳥見山の山頂は、初代神武天皇が橿原宮に即位後初めて「霊畤を立て、皇祖天津神を祀り、大考をのべられた」とされる場所です。すなわち天皇家の大嘗祭、新嘗祭の発祥の地なのです。今回は時間が無く登らなかったが、いつか登ってみたい。正面の階段を登ると、最深部の本殿・上津尾社が鎮座する。
人通りのほとんどない早朝の道を、歩くこと一時間半で聖林寺(しょうりんじ)着く。談山神社手前の山腹に瓦屋根をのぞかす聖林寺は、門構えといい建物の大きさといい、どこでも見られるありふれた社寺に見えます。
この何でもなさそうなお寺が、観光スポットとしてパンフレットやガイド本には必ず載っているのは、それだけの値打ちを秘めているから。それは天平時代を代表する国宝「十一面観音立像」がお祭りされているからです。早朝すぎて拝観できなかったが、写真で見ると、この仏様の数奇な運命を表しているように、かなり痛み傷ついておられます。それが哀れさを誘い、よりいっそう魅力的なのでしょうか。

このお寺の庭から見晴らす景色がすばらしい。ここまで歩いてきた道すがらが一望できる。等彌神社のある鳥見山、その奥に三輪山の山稜。ここも「ヤマトはクニのまほろば」を感じさせてくれる場所のようです。
九時、歩くこと二時間で談山神社までの中間点、崇峻天皇・倉梯柴垣宮(くらはしのしばがきのみや)・倉梯岡陵に着きました。今まで沢山の天皇陵(古墳)を見てきたので、”アアまたか”とう風景です。厳めしい構えと柵、番小屋、どこも同だ。そしてここが果たして崇峻天皇の埋葬地か?、多くの疑問があるのも他の天皇陵と同じ。

天皇陵なんて、どれもこんなものです。江戸時代の古い伝承記録を元に天皇陵と定め、未だにそれを保守している。宮内庁は、科学的な検証を行おうとする姿勢さえ示さない。発掘調査どころか、立ち入りさえ許さない。先日、あの箸墓古墳に考古学者の代表数名が立ち入りを認められ、頂上部を歩いて目視だけの観察をした、それだけでニュース記事になるほどです。宮内庁様は、何を恐れておられるんでしょうか?

談山神社へ残り半分、山間の多武峰街道を歩く。ハイキングコースといえ車道と同じ。歩道はなく、狭い路肩を車を避けながら進むのは気分がそがれます。そうした時、横を流れる寺川のせせらぎと色鮮やかな紅葉が元気付けてくれます。

詳しくはホームページで。
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