山を下りると、そこは紅葉盛りの寂光院だった。紅黄に彩られた階段を登り、山門をくぐるとすぐ本堂です。右に「四方正面の池」、左に「汀(みぎわ)の池」を配置した本堂は、庵に近いような質素で素朴な造り。壇ノ浦で平家滅亡の悲劇を体験した建礼門院徳子が出家し、余生の住まいとしたのに相応しいのかもしれない。今は、真っ赤なカエデや山茶花に彩られ華やかだが、山間のひっそりした、訪れる人のいない隠れ家だったのでしょう。ここを後白河法皇がお忍びで訪れる「大原御幸」で「平家物語」は幕を閉じるという。
平成12年(2000年)5月9日未明、もの静かなこのお堂は一瞬のうちに炎につつまれた。何者かが本堂西側の縁側付近に大量の灯油をまいて火を付けたのです。全てが失われました、お堂も、仏も、建礼門院の遺物も。今もって犯人はわからず時効を迎えてしまっている。諸行無常の響きあり・・・平成の「れきしヒステリー」
寂光院を後にし高野川を渡り、のどかな山里の道を三千院へ向かう。前方には、昨年の今頃登った比叡山が横たわります。その山頂付近に広大な境内をもつ「日本仏教の母山」延暦寺が、威光たけだけしく京の都を見下ろす。
一部の僧侶が山から降り、新しい仏の道を探し求めていったのがこの大原の里。
三百メートルほど続く参道は、右手に高野川の支流・呂川が流れ、左側には京の特産品のお土産店が並ぶ。特に、建礼門院が名付け親とされる「紫葉漬」が有名です。私は「ゆず入りポン酢」(1400円)を買い、帰ってから湯豆腐で一杯やるのを楽しみに。
近くには律川という高野川の支流もあり、三千院はこの「呂川」と「律川」にサンドイッチされた位置にあります。この両川の名は、ここ大原の寺院で誕生した声明(節をつけて謡うように読経すること)のふたつの旋法、唐風の「呂」と和風の「律」の節回しからきているそうです。この二つの旋法を使い分けられないのが「呂律がまわらない」、今風では音痴、または酒飲み・・・。
ようやく三千院の門前に着きました。「紅葉の馬場(桜の馬場)」と呼ぶそうです。
「京都 大原 三千院
山に疲れた 男が一人~♪♪」
「京都 大原 三千円~♪♪」 京都駅からタクシーで三千円の時代もあったようだ(昭和40年代)。
大原のメインスポットだけあって,平日にもかかわらず人出が多い。年配の方がほとんどだが、若い女性も多い。”~に疲れた”人が多いいのでしょうか・・・(*^_^*)、わたくしは山に疲れましたが・・・!(^^)!。
客殿、宸殿では貴重な仏像・襖絵,掛け軸などを鑑賞できますが、それらはさておき((*^_^*))、庭です。
杉木立と絨毯のように敷き詰められた緑の苔、そして赤や黄に色付いた紅葉の織りなす景色がなんともいえない。春は桜、夏はカエデの新緑、秋の紅葉、そして雪景色になったりと、季節々により趣を変え、叙情をかきたて堪能させてくれるそうです。四季を通じて多くの観光客が訪れるのも肯ける。紅葉の奥に見えているのが三千院の本堂にあたる往生極楽院。それはさておき((*^_^*))、庭です。
三千院のシンボル(?)、マスコットキャラ(?)の「わらべ地蔵」さん。ここが一番の人だかり。多くのシャッターを浴びたせいか、つぶらな瞳を閉じている。現代の彫刻家・杉村孝(1937-)作とか。こんな人知らんが、「三千院のわらべ地蔵」はメディアなどにも取り上げられた超有名人です。全部で七体あるようだが、三体しか見れなかった。
この後、実光院・勝林院・宝泉院・来迎院・音無の滝などを廻りましたが、詳しくはホームページをのぞいてください!
最後に、帰り(往き)は八瀬(やせ)へ寄ろう。混雑したバスに40分も揺られるよりは、叡山電車を途中から(まで)利用するのが良い。叡山電鉄の八瀬駅周辺も紅葉(桜)の名所ですゾ!。どの行き先のバスも八瀬駅前に止まるヨ。
もう一つ最後に、大原から30分ほど奥へ歩けば紅葉で知られた「古知谷(こじだに)」へでる。そこの山門から阿弥陀寺へ続く約600mの渓谷沿いの道は、まさに「紅葉の回廊」だそうです。これを見れなかったのが、一番悔しい・・・(-_-;)。