高野町内の東方へ歩いてゆけば家並みが途絶え、静寂な森が現れる。「一の橋」を渡ると、大師御廟のある奥の院まで異様な世界が展開する。杉木立に囲まれた参詣道が2キロにわたって続き、その両側には、墓、墓、墓・・・、塔、塔、塔・・・が乱雑に、所狭しと、そして「ワレこそは、あの偉大な・・・」と大見得を張って、延々と続いていく。
目に付いたものだけでも
奥州仙台伊達家、曽我兄弟、薩摩島津家、小田原北条家、紀州初代藩主徳川頼宣、武田信玄勝頼、上杉謙信、浅野内匠頭 赤穂四十七士、因幡之国鳥取城主池田候、石田三成、明智光秀、初代 市川団十郎、安芸浅野家、豊臣家、織田信長
ここは鎌倉時代から現代までの公家、高僧、諸大名、有名な戦国武将などの約20万基を超える墓碑や供養塔、祈念碑、慰霊碑が約2キロにわたって立ち並ぶ一大霊場となっている。信玄も謙信も、信長も明智も、豊臣や徳川など生前の憎悪を超えて敵味方なくみんな一緒に眠っています。 まるで歴史散歩をしているようです。
左から「曽我兄弟、明智光秀、初代市川団十郎」
これは武田信玄勝頼墓所、説明の案内板まで掲示されている。
豊臣家墓所。さすが一番広いスペースを確保している。その割りには、墓はチョボイ。
また現代の一流企業の慰霊碑や供養塔もある。江崎グリコ、パナソニック、日産など。こういうのはチョッと興ざめになる。清浄な気分が損なわれるので、勘弁してほしい。
私は目にしていないが、コーヒーカップ(UCC上島珈琲)、ロケット(明和産業)、福助人形(福助足袋)、シロアリのモニュメント風の供養塔もあるとか。高野山をおちょくってはいけませんゾ。
玉川にかかる御廟橋。橋を渡り、正面の階段を上がると燈籠堂(とうろうどう)で、弘法大師の霊が祀られている大師御廟(だいしごびょう)は、燈籠堂の裏手地下にあるようです。不浄な私には近づいてはならないような神聖な場所のような気がして、目の前の階段は登りませんでした。サァー、山へ入って汚れを落とそう・・・
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