忘れ物になる前に

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新潟の話 R28編成

2015-12-31 21:01:23 | 485系まとめ
2015年3月改正後も営業運転を行った編成は少なく、改正後に唯一残った新潟車の担当運用である糸魚川快速に充当された編成は、3月改正まで生き残った9編成のうちわずか4編成のみ。そのうち1編成は改正後すぐに運用から外れ、残った3編成のうち1編成も6月に運用を離脱。そうして残った2編成のうちの1編成がR26編成。そしてもう1編成が、青森から転入した3000番台という異質の存在であるこの編成です。


485系R28編成
転入:2006年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3350(6号車)
モハ485-3040(5号車)
モハ484-3040(4号車)
モハ485-3056(3号車)
モハ484-3056(2号車)
クロハ481-3020(1号車)

元々は青森A9編成で、青森で活躍していた編成です。青函トンネルには入れない編成ではありますが、青森で3000番台への改造が行われ、2001年12月までは盛岡~青森の「はつかり」として活躍していました。2001年12月に東北新幹線が八戸まで開業すると、輸送体系の見直しにより青森車485系の運用が減少。3000番台改造が行われたとはいえ運用数が減少したため余剰気味に。そんな中転機となったのは2005年12月。羽越本線脱線事故の影響で、新潟車の485系が1編成不足する事態に。そこで白羽の矢が立ったのがA9編成。新潟車の不足を補うために青森で組み替えを行い、4両が青森から新潟へ転属。方向転換と塗装変更を行い新潟車R28編成として活躍を始めました。485系3000番台で初の転属が行われた編成です。R28編成のうち4両はA9編成として青森から転属した車両。残る2両は、新潟車R1編成を6両に組み換えR26編成とした際余剰となった3両のうちの2両を組み込んでいます。一方青森では、新潟への転属に際しA8編成とモハユニットを組み替えています。
形式写真をなど細かい部分については、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事もご参照ください。

○青森在籍時
青森車A9編成           
クハ481-3350(1号車)      
モハ484-3068(2号車)
モハ485-3068(3号車)
モハ484-3081(4号車)      
モハ485-3081(5号車)      
クロハ481-3020(6号車)     
青森車A8編成
クハ481-3005(1号車)
モハ484-3035(2号車)
モハ485-3035(3号車)
モハ484-3056(4号車)
モハ485-3056(5号車)
クロハ481-3021(6号車)

○A9編成新潟転属時
青森車A9編成           
クハ481-3350           
モハ484-3056            
モハ485-3056            
クロハ481-3020          
青森車A8編成
クハ481-3005(1号車)
モハ484-3035(2号車)
モハ485-3035(3号車)
モハ484-3068(4号車)
モハ485-3068(5号車)
クロハ481-3021(6号車)

(モハ484/485-3068と3056を組み替え)
(モハ484/485-3081は増結ユニットとして青森に残留)
なお、この際組み替えられたモハ484/485-3068と青森に残留となったモハ484/485-3081ユニットは、2010年12月のダイヤ改正による輸送体系見直しにより余剰。2011年に廃車となっています。

○青森A9編成→新潟R28編成化
クハ481-3350(6号車)
モハ485-3040(5号車)
モハ484-3040(4号車)
モハ485-3056(3号車)
モハ484-3056(2号車)
クロハ481-3020(1号車)
(モハ484/485-3040をR1編成より組み込み)
(新潟車とモハ484/485の向きを合わせるために方向転換を実施)



クハ481-3350(6号車)
改造種車:クハ481-350
種車のクハ481-350は1976年に青森に配置。以来どこにも移ることなく青森に在籍し、1999年に3000番台へと改造。2006年に新潟へ転属となります。485系300番台では初の3000番台改造が行われました。300番台は1000番台と異なりどちらの向きにも対応した先頭車ですが、3000番台改造と同時におそらく1000番台と同様の仕様となっているため、新潟へ転属する際に方向転換が行われているはずです。


モハ485-3040(5号車)
改造種車:モハ485-1040
種車は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、1997年に新潟へ転属。同時に3000番台改造が行われ、R1編成に組み込まれました。2005年まではR1編成の一員として活躍しましたが、R1編成を6両編成のR26編成化する際に余剰車に。そして今回のR28編成組成の際に転用され、今回の4号車5号車に連結されることとなりました。組成の経歴からR21~R25編成では撤去された5号車のトイレは存置。ここが他の編成との識別点となっていました。


モハ484-3040(4号車)
改造種車:モハ484-1040
車両経歴は上記のモハ485-3040と同じです。モハ484/485-3040のみ青森からの転属車ではないため、経歴も他の車両とは異なったものとなります。青森から転属されていないため乗務員室窓は原形。小窓へと改造されたR26編成やR23編成のモハ484と識別可能です。


モハ485-3056(3号車)
改造種車:モハ485-1056
1979年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となりましたが、1993年に再び青森へ転属となり、1997年に3000番台へと改造されました。青森車の一員ではありましたが、A9編成ではなくA8編成として活躍してたため、改造時期がクハ485-3350とクロハ481-3020とは異なっています。2006年にA8編成からA9編成に組み替えられ、2006年に新潟へ転属となりました。青森時代はA8編成の5号車に組成。隣の6号車とデッキが重なるためかトイレが撤去されています。新潟転入に際し組成位置がデッキが重なっていた5号車から中間に位置する3号車へ変更になっていますが、青森時代の名残で3号車に位置しているもののトイレが撤去されています。トイレ撤去後には電話室が設置されていたため、電話用のアンテナが屋根に設置されています。


モハ484-3056(2号車)
改造種車:モハ484-1056
車両履歴は上記の車両と同じ。車いす対応トイレ設置車であるため、新潟転入時には2号車に当たる部分に連結されています。車いす対応トイレ設置車の隣にトイレがない、という組成はR26編成とR27編成と同じ。ですが3号車のトイレ撤去の事情はR21編成~R25編成と同じという独特な編成です。


クロハ481-3020(1号車)
改造種車:クロハ481-1020←クハ481-1501
数少ない485系1500番台の生き残りの1両。3000番台改造を受ける前にクロハ481-1020へと改造されたたために番号だけでは1000番台の一員のような車両になっています。種車はまず1974年に札幌へ配置(厳密には札幌に配置した状態で青森に貸し出され「白鳥」にて慣らしを兼ねた暫定運用に就き、それから北海道へ)。1981年に青森へ移り、民営化後の1987年にクロハ481-1020へ改造。クロハ481では唯一の四つ目車として活躍しましたが、1999年に3000番台改造受けクロハ481-3020へ。そして2006年に新潟へ転属となります。新製された485系1500番台は他番台・他形式への改造後も含めますが全車両が新潟に一度転属されており、クハ481-1501が1500番台では最後に新潟に転属となった車両となりました(他の車両は大半が民営化直前の1987年、クハ481-1506が1997年、クハ481-1508が2000年に新潟に転属となっています)。2015年現在、JT車への改造種車を除き、485系列最古参の車両です。



編成表記。左がクロハ、右がクハです。トリミングの比率などで違うフォントのようにも見えますが、晩年はどちらも統一されたスタイルです。
編成表記の下に見えるのはおそらくカメラ。2012年の検査出場時から取り付けられ、以来撤去されずに残っていますが、用途は不明です。


運転台近辺。青森車の特徴として、運転台ガラスの両脇の部分に雪避け用の灰色のものがついています。新潟車には取り付けられていなかったので、新潟色で唯一のスタイルです。このほか、上で述べたとおりカメラが取り付けられたためか運転台部分に載っている機械がR28編成のみやや多い模様です。


クーラーは、1,3,5号車は写真左の更新型のAU112、6号車は未更新型のAU13EN。2,4号車のモハ484はAU71Bです。青森車のクハ,クロハ481とモハ485は全て未更新型のAU13ENであるため、こちらは新潟で更新を受けています。6号車だけ未更新のままであった理由は不明です。


連結器カバーは両端黒。転入が遅い時期であったため、黒から変わったことはありません。


R28編成の前面LED。2012年3月までは稼働していましたが、突然クハ側クロハ側ともに非表示に。故障と言われていますが、過去の故障事例を見る限り両方同時に故障する例はないため、何らかの事情で停止措置となったのではないかと思われます。タイミングとしては、らくらくトレイン信越とおはよう信越運転開始に伴った方向幕整理時に使用停止に。これが関わっていると思われますが…。


前面幕LED使用時。青森時代のLEDのため、表示パターンが新潟と異なるのが特徴。そのため新潟車にはない赤背景のLED幕が存在しました。


乗降ドアのステップ部分。2013年からは「くびき野」に多く運用されていましたが、それまでは「北越」「いなほ」運用が主であったことからステップは非装備。現在は「くびき野」運用の名残からかステップは装備したまま運用されています。


青森に在籍していた名残として、雨どいが改造されて曲がっているのが特徴。新潟の3000番台編成はこのほかにR25編成が曲がっているのみでした。


ATSは青森時代からPsのみを装備。装備しているものは変わらないはずですが、塗装変更時に位置が変わったらしく、微妙に名残が見えます。


R26,R27編成同様に3号車にトイレはなく、内装は同じように電話室が設置されていました。こちらも現在は電話が撤去され、単なるデッキになっています。


同じように反対側にはなぜか残っている紙コップ置き場。当然ここに紙コップはありません。


青森から転属となった1~3,6号車には青森時代のステッカーが貼られています。晩年期は下にあるようなステッカーが新潟車にも貼られることとなりましたが、撤去されることはなく、ボロボロになった3号車のステッカーのみが撤去され、現在は1,2,6号車に残っています。


青森と新潟では車両の塗装が違うためか普通車の座席そのものは同じであるものの色が異なり、青森は黒とグレー、新潟は青と黒が基調となっています。青森から新潟へ移る際、座席も新潟に合わせた物に交換されましたが、1号車と6号車は交換できなかったのか青森時代のままの座席。乗車の際は気にしてみてはいかがでしょうか。


6号車はほとんどが青森時代の座席ですが、座席が壊れたのか一部が新潟のものに交換。現在3000番台で唯一混色の座席となっています。


仕切りドア。青森で改造された4両は青森時代のものを交換せずに使用しているため、現在も仕切りドアは青森時代の黄色で残ります。


一方、新潟で改造された2両は青色のまま。出身がR1編成のためか、手で開けるように促すステッカーが残っています。


3号車にある車内表示機。トイレがない3号車はトイレの使用状況の部分をどうしているかといえば、白い紙で覆って使用停止状態。R26編成とは異なる処置です。


車内で表示している車両番号ですが、3000番台の標準フォントは左のようなステッカーで表示。ところがモハ485-3056だけはなぜか国鉄フォントでステッカーではなくプレートが設置。見て分かる通り同じユニットの相方であるモハ484-3056がステッカーであるため、本当に謎な部分です。


デッキのゴミ箱。新潟車のものはふたを押して開けるのに対し、青森車はふたを上に上げて開けるタイプのもの。そのため指を挟みこんで怪我をしないように加工されています。



青森からの転入車ではありますが、運用は他の編成と共通。転属時は特急運用である「北越」「いなほ」が中心。2013年に初めて「くびき野」を代走し、その後は3000番台編成でありながら比較的多く「くびき野」運用を担当。2014年からは「くびき野」専属編成であったT16,T17編成が離脱したため、「北越」「いなほ」と「くびき野」を行ったり来たりの運用を繰り返していました。2015年3月の改正前日はR26編成とともに運用には入らず新潟で留置。その後3月16日に糸魚川快速に初充当。6月までは比較的多く充当されていましたが、6月にR26編成が出場し糸魚川快速に充当されるようになってからは、R28編成の出番は少なくなりました。現在では糸魚川快速1往復のみに充当される程度ですが、団体運用で関西地区への入線を果たし、青森時代を含めると本州最北端と最西端の運用範囲に足を踏み入れる幅広い活躍を見せています。なお、臨時快速への充当履歴は少なく、8両編成の増結運用には入っていません。
晩年はHMが非点灯であるためハズレ扱いを受けることが多い編成ですが、それでも最後まで残った新潟車485系の数少ない編成の1つであることに変わりはありません。どのような活躍を見せてくれるのか、見守っていきたいものです。

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