忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 R22編成

2015-07-09 22:09:16 | 485系まとめ
いつの間にかいろんな動きがありましたが…。
様々な経緯から生まれそのまま使用されたT編成とは異なり、R編成は経緯は別としても同時に改造を受けたためある程度外観は統一され、異なっていた部分も近年は統一する動きがみられていました。そんな統一化の流れを全く受けることのなかった編成からご紹介。



485系R22編成
転入:2000年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3348(6号車)
モハ485-3065(5号車)
モハ484-3065(4号車)
モハ485-3066(3号車)
モハ484-3066(2号車)
クロハ481-3004(1号車)
最終運用:2015年3月16日 快速
長野回送:2015年6月22日

クロハ481の連結器カバーが最後まで黒くならなかった唯一の編成。他の編成が黒へと統一されていく中最後まで個性を貫いた編成ともいえます。R編成としては、R21編成と同時期に転入配置されて新潟へ。種車もR21編成と同じく元「こまくさ」編成。こまくさ2・4編成を組み替えたR21編成と対をなすかのように、種車は元こまくさ1・3編成を組み替えたもの。個性を貫いた編成ではあるものの、R21編成と同じ時期に改造されたということもあり、実は意外と標準的な一面もありました。
R編成ということで、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧ください。


クハ481-3348(6号車)
種車:クロハ481-303←クハ481-348
元こまくさ1編成のクロハ481をクハ481に再改造したもの。数少ないクロハ481-300の1両であった車両が種車に選ばれています。クロハ481-301と302は福知山地区で活躍した車両で、最終的に183系800番台へと改造されていますが、こちらは不足したクロハ481-1000を補う形で改造された車両。種車が300番台であることから番台が分けられましたが、内装はクロハ481-1000(1022~1027タイプ)と同一のものです。
種車クハ481-348は1976年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となり、1989年にクロハ481-303へと改造されます。東北地区では異例のクロハ481-300ですが、前述の通り改造種車が異なるのみで扱いはクロハ481-1000と同じ車両。2000年まで秋田で活躍を続け、3000番台へと改造。同時に全車普通車のクハ481へと改造されることとなったため、改造種車であるクハ481-348の番号を踏襲しクハ481-3348となり、新潟に転属となりました。クハ481-300は車両の向きに関係なく連結できる両渡り構造の先頭車ですが、3300番台改造の際におそらく片渡り構造の先頭車に改造されているようで、より一層1000番台車の一員に近い車両となっています。


モハ485-3065(5号車)
種車:モハ485-1065
元こまくさ1編成の3号車。R21編成同様この車両のトイレは撤去されているので、写真の奥側にあるトイレタンクが撤去されています。見た目はR21編成と変わらないので、ここでは角度を変えた写真を掲載します。
種車モハ485-1065は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3065となり、新潟に転属となります。


モハ484-3065(4号車)
種車:モハ484-1065
元こまくさ1編成の2号車。乗務員室の窓は原形。同じ時期に改造を受け、同じ構成となるR21編成とは瓜二つの外観となっています。5号車のトイレが撤去された理由は、おそらく6号車のデッキと重なることからトイレの設備が重なり過剰となるためと思われます。同様の場合、西日本の485系では一部が3000番台同様トイレ撤去や使用停止措置を行っていますが、東日本の場合、3000番台のように大掛かりな改造を受けた車両はトイレ撤去を行い、改造を行っていないT編成やK編成はそのまま存置されています。
車両の移動はモハ485-3065と同様です。


モハ485-3066(3号車)
種車:モハ485-1066
元こまくさ3編成の3号車。こちらは5号車と異なりトイレタンクが存置されているのが特徴です(写真の奥側)。
種車モハ485-1066は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3066となり、新潟に転属となります。車両番号が3065(1065)の続番である3066(1066)であることからか、車両の移動経歴もほぼ同一。晩年の485系は短編成化のために改造と組み換えを繰り返し行っていたため、モハ484/485のユニット番号が連続して組成されている編成はかなり珍しいものであったはずです。


モハ484-3066(2号車)
種車:モハ484-1066
元こまくさ2編成の2号車。車いす対応トイレと多目的室が設置されているため定員数が異なるのは他の編成と同一。掲載した写真ではトイレ・多目的室は奥にあります。写真の窓がない部分は車いす対応トイレ、反対側には多目的室が設置されています。多目的室部分には乗務員室窓に似た窓が設置されていますが、これは3000番台改造の際に新しく設けたもので、サイズも種車のものとは異なっています。
車両の移動はモハ485-3066と同じです。


クロハ481-3004(1号車)
種車:クロハ481-1004←クハ481-1032
元こまくさ2編成の1号車。6号車の先頭車となるクハ481-3348がクロハ481からクハ481へと改造されたのに対し、こちらはクロハ481の機能を生かすためクロハ481のまま3000番台へと改造されています。R22編成の場合、クハ481には300番台車が他にも在籍していたのに対しクロハ481には他に300番台車が在籍していないため、向きを揃えるという目的もあってこの車両がクロハ481のまま残ったのかもしれません。
種車クハ481-1032は1978年に秋田に配置。1987年に青森に転属し、クロハ481-1004となります。1988年に秋田に再転属し、2000年に3000番台改造を受けクロハ481-3004となり、新潟へ転属となります。


編成表記。左がクロハ481,右がクハ481。晩年は標準のフォントに改められているので、大きな差はありません。


特徴的だったクロハ481の連結器カバー。晩年は緑でしたが、長かったのは白カバー。時期にもよりますが、ライトの下にある部分の滑り止めが黒かった時期もあります。晩年は緑カバーに滑り止めの色は青でした。


ドアステップは取り付けなし。取り付ける必要のある運用にも入っていないため、取り付け台差もありません。ただし、関西乗り入れは結構な数をこなしていたので、時期のよっては取り付けていたと思われます。


一時期6号車の側面幕が故障していた時期がありましたが、その際幕を白い紙(布)でおおわれていました。2012年頃に故障しましたが、2013年~晩年は元通りになっていました。


ドア部分は3000番台標準のもの。あついステッカーは2013年冬から貼り付けられ、それ以降剥がされることなく運用されています。


5号車の元洗面台のところに設けられた荷物室。R21編成のものとはよく見ると床デザインが異なっており、同じ設備を持つR23編成、R25編成はこのスタイルになっています。なお、反対側の元トイレ部分は乗務員室となっていますが、おそらくそこにはトイレがあるのではと…(トイレタンクはすでにないので復活はできませんが)。


雨どいはクハ、クロハ共に原形でした。こちらもR21編成同様のものです。


クーラーは晩年クハ481,クロハ481,モハ485は全て更新型のAU112。モハ484はAU71Bを装備している、という点は他の編成と同じです。


R21編成同様に車両の間には転落防止幌は未設置です。先程の述べたとおり5号車にはトイレがないので、左の6号車に見えているトイレタンクが設置されていません。


2号車のモハ484のみパンタグラフ周りの配線がやや赤くなっていました。老朽化のためなのでしょうか。4号車は何もないままでした。



特急編成に含まれていたR22編成の運用は「北越」「いなほ」といった特急運用。R21編成と同時期に運用が開始されていますが「みのり」運用には就かず、くびき野運用の代走も行っていません。(2011/3/12、団体として大阪から新潟へ帰る途中直江津で抑止されていた当編成を用いてくびき野1号を運行した、という目撃があるそうですが、確信がないので…)。R21編成と共に当編成が配置された最大の理由は、2001年3月のダイヤ改正で「白鳥」と新潟発着の「雷鳥」が廃止となったことにより「北越」が増発されたことによるもの。一気に運用を離脱した9連編成5本の代わりに穴を埋めるべく改造され配属されたのがこの2編成です。走行距離が「雷鳥」と「北越」では大きく異なることと、他の編成と運用が共通化できることで2編成の増備で足りているようです。なお、9連編成を6連編成化できなかったのは、6連編成にあるクロハ481が連結されておらず、改造するにもすでに普通車をグラードアップ改造しているため簡単に改造できなかったことと、老朽化があげられると思われます。


特急運用だけでなく、団体運用など幅広い範囲での活躍もみられ、団体運用では大阪までの乗り入れています。8連増結にも用いられ、8連で「いなほ」や「海中スターマイン」などの快速列車にも充当されました。8連運用ではE653系に置き換えられる前の最後の8連いなほを担当したのがR22編成でしたが、同時にそれがR22編成の8連増結運用最後のものとなっています。


日本海を背に走るR22編成。新潟での新たな活躍は15年間にもおよび、主力車両といっても過言ではないほどの走りっぷりでした。そんなR22編成は「北越」としての最終列車という晴れ舞台を任され、その後少しだけ生き残った快速運用を担当し、それを最後に運用離脱。3月改正での運用減に合わせ役目を果たし終え、長野へと回送されました。長かったようで短かった15年間の活躍は、個性的なスタイルと共に輝かしいものだったのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿