忘れ物になる前に

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新潟の話 R26編成

2015-12-12 08:26:18 | 485系まとめ
そもそもこのまとめをするにあたり、まずは現役編成をやるべきだったということで、数少なくなった現役編成のうち、長く新潟に在籍していた編成を。



485系R26編成
転入:1996年12月
編成移動
転入時:R1編成
2006年3月以降:R26編成
編成
クハ481-3034(6号車)
モハ485-3033(5号車)
モハ484-3033(4号車)
モハ485-3060(3号車)
モハ484-3060(2号車)
クロハ481-3026(1号車)

元々は1997年3月に登場した「はくたか」向けの編成として、初の9両編成3000番台として、秋田と新潟で余剰となっていた車両を改造し配置。その後485系が「はくたか」から撤退し、一時期は定期運用を持たず波動編成として在籍していましたが、2006年に編成を9両から6両に短縮し、新たにR26編成として活躍を始めた編成です。R1編成時代からATS-Pを持っており、一時期は関東への入線もあったようですが、関東地区で使用開始となったデジタル無線を装備していないため現在は関東地区へ入線できず、関西地区のATS-Pにも対応していなかったことから、晩年はATS-Pを使用した運用には一切入っていません。
組み換えなどを行ったために内装や外観が異なることから、同様の内外装となるR27,R28編成と同じグループ分けを個人的ではありますが行っています。
Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧いただくと、形式写真を中心により一層R26編成についてお分かり頂けると思います。

改造時はR1編成として新潟に配置されていたということで、一度も見たことがない身ではありますが、R1編成時代の編成表も載せておきます。
クハ481-3034(9号車)
モハ485-3040(8号車)
モハ484-3040(7号車)
モハ485-3060(6号車)
モハ484-3060(5号車)
サロ481-3107(4号車)
モハ485-3033(3号車)
モハ484-3033(2号車)
クハ481-3026(1号車)
6両への組み替えは、単純に4~6号車を抜いて6両…とはせず、モハユニットの位置を入れ替えています。これは主にモハ484の付帯設備が絡んでいるためです。下記で詳細を述べていきます。
9両のうち、5両はR26編成へそのまま転用。1両は改造の上R26編成へ組み込まれ、残った3両のうちモハ1ユニットはR28編成へ転用。最後まで残ったサロ481-3107だけは転用先が見つからず、6連化の際に編成から外れ廃車になっています。



クハ481-3034(6号車)
種車:クロハ481-1006←クハ481-1034
種車は1979年に秋田に配属。民営化直前の1987年にクロハ481-1006へ改造され、改造後も秋田で活躍を続けますが、(おそらく秋田新幹線開業目前の田沢湖線改軌工事に伴った「たざわ」減便の余剰車となり)今回のR1編成の改造種車に選ばれ、改造と同時に新潟へ転属となりました。今回の改造でクハ481へと復元が行われていますが、その際はクロハ化される前のクハ481-1034の番号を踏襲しクハ481-3034となりました。R1編成では9号車に連結。新潟では大阪・金沢方を向く車両は奇数番号の車両が使用されていたため、今回の改造で奇数方向への方向転換も行われています。R26編成への転用時は9号車から6号車へそのまま転用されたのみで、目立った動きはありません。


モハ485-3033(5号車)
種車:モハ485-1033
R1編成時代は3号車に連結。R26編成化に際し組み替えが行われ、5号車に連結されることとなりました。R21~R25編成は6号車とデッキが面している5号車のトイレが撤去されていますが、このような組み替えの経緯があるためトイレが残されているのが特徴です。


モハ484-3033(4号車)
種車:モハ484-1033
R1編成時代は2号車に連結。こちらもR26編成化に際し4号車へ組み替えられています。1979年に青森に配置。1993年に秋田に転属された後、R1編成向けの改造を受け1997年に新潟に配属となっています。新潟では数少ない、乗務員室窓が改造された3000番台車です。R1編成への改造前は5両編成を組んでおり、改造に際しクロハ481+モハ484+モハ485の3両が改造を受け転用。5両編成ということで、残りの2両は必然的にモハ484+クモハ485になりますが、こちらは3000番台改造は行われず幕張へと転属。ニューなのはなの種車となり活躍していました。


モハ485-3060(3号車)
種車:モハ485-1060
R1編成時代は6号車に連結。今回の組み換えで3号車に組み替えられました。9両編成は6号車のデッキに電話室を設けており、3000番台は青森車がトイレを撤去して電話室を設けていたことから同様の改造を施工。その結果トイレが撤去されましたが、撤去されたまま相方モハ484-3060に合わせて組み替えを行ったため編成中央部分に連結されている車両ではありますがトイレが撤去されています。電話室時代の名残で、デッキ屋根上部分にアンテナが取り付けられているのも特徴。車両自体はモハ484/485-3033と同様の動きをしています。なお、今回R1編成での改造で使われたクモハ485を含む5両編成2本は、厳密には3000番台改造の前に一度新潟に転属の扱いを受け、3000番台への改造が行われています。この際、改造に使われなかったクモハ485+モハ484(クモハ485-1001,1009+モハ484-1017,1076)も新潟に転属の扱いとなっているため、1年間のみ新潟に配属された扱いを受けています(運用入りはしていませんが)。


モハ484-3060(2号車)
種車:モハ484-1060
車いす対応トイレを備えたモハ484。R1編成時代は5号車に連結。3000番台の車いす対応トイレを備えた車両はグリーン車に近い位置に連結するようにされているようで、R1編成時代もグリーン車である4号車の隣に連結されていました。R26編成への組み換えの際、他の6両編成でも組成されているグリーン車の隣の2号車に組成されるように組み替えを行ったことから、他のモハ484/485ユニットも組み替えを行うこととなったようです。この影響で、R21~R25編成には3号車にあるトイレがなく代わりに5号車にはないトイレがある、といった差が生まれています。もっとも、これは所属が東日本だったからこそユニットの組み換えのみで済みましたが、これが西日本であればトイレ位置統一のためにユニットを切り離して組み替え、ということも起きたような気がします。


クロハ481-3026(1号車)
種車:クハ481-3026←クロハ481-1005←クハ481-1026
クロハ481となっている1号車は、R1編成時代はグリーン車であるサロ481が連結されていたこともあり同じ1号車に連結されていたとはいえクロハではなくクハ481-3026として在籍していました。種車であるクハ481-1026は1979年に秋田に配属され、民営化目前の1987年にクロハ481-1005へ改造。R1編成改造の際改造種車として選ばれ、改造と同時に新潟へ転属。この際クハ481への復帰が行われクハ481-3026に…といった流れはクハ481-3037と同様。ただしこの車両はその後R26編成化の伴いクロハ481へと再改造を受けます。一見地味な車両ではありますが、3回も改造を受けた車両というのはそう多くはないため、貴重な経歴を持つ車両でもあります。



編成番号。左がクロハ、右がクハ。スタイルそのものは半角フォント+ハイフン付と標準的なものですが。クハ側の編成表記が中央に寄っているのが特徴。ほとんどの編成がクロハ側のように端に寄せているものがほとんどであるため、特徴的なスタイルでもあります。


クーラーは晩年クハ481,クロハ481,モハ485は全て更新型のAU112で、モハ484はAU71Bを装備(画像は同じタイプであるR28編成のものを流用しています)。このうち、6号車のクハ481のみ2009年頃まで未更新型のAU13ENを載せていました。


連結器カバーは黒。R1編成時代はカバーがかなりころころと変わっていたようですが、R26編成は黒でおおむね統一されていたようです。


クロハ481のHMは現在撤去されており、よく見ると中身が見えます。他の編成とは異なり完全に撤去されているため、HM部分は真黒です。
2015年12月初めにクハ側HMも非点灯となったようです。
→LEDが不調で点灯する時と点灯しない時があるようです。機器の劣化でしょうか。


一方、こちらは2011年頃のR26編成。3月~8月まではクハ側のHMが故障したため白い幕でおおわれていました。8月にR26編成のHMは直りましたが、入れ替わるようにR21編成に同様の故障が発生しています。


晩年は主に「くびき野」に充当されていたこともあり、晩年はステップを埋め込んだ状態で運用されていました。このステップ部分ですが、R編成とT,K編成では種類が異なっていたようで、R編成の物はステップの下の部分が透明なもの。一方T,K編成は透明ではなく灰色のものです。取り付け自体は2014年から行われましたが、本来充当されていた「はくたか」の運転区間のうち、北越急行線内の十日町のホーム部分のみかさ上げが行われていたため、R1編成時代にも装備していたはずです。


R1編成とR2編成のみに取り付けられたエンブレム。R26編成とR27編成となったあとも存置されましたが、劣化が進みどちらの編成も撤去されてしまいました。R26編成は2009年の検査出場時に撤去。その痕跡はうっすらと残っています。乗務員室雨どいは原形です。


3号車デッキに設けられた電話室スペース。電話室スペースというだけあり、簡単な仕切りがあるのみで個室というものではありません。元々ここには公衆電話が設置されていましたが、現在は撤去され仕切りのみが残っています。R21~R25編成にはない設備ですが、逆にR21編成~R25編成の5号車にある荷物室はありません。


電話室スペースの反対側。本来の改造種車部分にはトイレがあった部分ですが、洗面台部分に電話室スペースを設けたためにトイレとしての機能が失われ、トイレそのものが撤去。ですがトイレの部分はそのまま存置されたのか、乗務員室として残っています。当然ながら扉はありますが開きません。そしてその手前にあるのは種車の名残である給水機と紙コップ受けの部分。原形編成ですら撤去されたものがなぜここだけ存置されているか疑問です。


一方2号車の元トイレ部分。車いす対応車のトイレは改造種車の乗務員室部分を改造して設置されたため、本来トイレがあった部分は必要となる機器類のスペースを除き撤去。そのためにちょっと変わった形になっていますが、この部分は一応荷物室になります。R26編成だけでなく、3000番台車には共通の部分です。


R26編成の車両間のドア部分に貼付されているシール。ドア形状はそっくりですが、車両間のドアは手動であるための注意ステッカーです。3000番台編成が主流でなかった新潟地区独特のもののようですが、元R1編成でR26編成に転用された6両のみに存置されて、他の編成には見られません。


クロハ481-3026の車内仕切りドア部分。他の編成と異なりクロハ481改造が遅かったため、車内仕切りドアが他の編成とは違ったものへ変更されています(同時期に改造されたR27編成は同一の仕様)。


3号車の車内上部の電光表示機。その隣にあるトイレの使用状況を示すランプですが、3号車にはトイレがないので、その部分は隣の2号車のトイレの使用状況を示すように改造されています(隣のモハ484-3060との組み替えは行われていないので、9両時代は5号車の使用状況が示されていたものではないかと思われます)。R21編成~R25編成は隣の6号車のトイレがすぐ近くということもありこのようなものは設置されていません。R27,R28編成についてはそれぞれの編成で記載しますが、このような改造は行っていません。



R1編成時代は「はくたか」専属編成として活躍し、「はくたか」が金沢を起点として動くことから基本的に金沢に常駐。検査の際は全車グレードアップ車に統一したT5編成を「はくたか」に使用し、R1編成は「北越」で新潟に出入りする運用が組まれていました。翌年R2編成が配置されると、9両T編成と運用が一部共通化。R2編成とは一週間おきに金沢常駐を交代していました。また、新潟への送り込みが「雷鳥」へと変更となり、送り込み運用以外でも「雷鳥」運用に入ったことから大阪へも頻繁に顔を出していました。2001年に新潟車が「雷鳥」から撤退すると、新潟への送り込みが再び「北越」へと変更されましたが、金沢常駐のスタイルは「はくたか」から撤退するまで続きます。この頃から、金沢に常駐していないR1,R2編成が混雑対策として繁忙期などの「いなほ」を担当することとなり、青森への入線も実現します。「はくたか」から撤退したとは1年ほど波動編成となり、ATS-Pを生かしTDL臨などの関東方面の団体も担当し入線となりましたが、R26編成への改造が行われ、現在のスタイルとなります。
なお、このR26編成とR27編成の改造により、特急編成であったT16,T17編成が「くびき野」専属編成に。当時専属編成であったT21,T22編成を置き換え、T21,T22編成は長野で組み替えを行い「彩」へ改造。老朽化していた14系客車「浪漫」が置き換えられています。


6両のR26編成なった後は他の編成と同じく「北越」「いなほ」として活躍しますが、改造されてからかなりの年数を走り込んでいたためか他の編成に比べ老朽化が進んでおり、晩年は10運用あった特急運用を最初から最後まで運用通りに入ることのほうが少なく、高確率で運用途中で差し替えにより離脱していました。R1編成時代に大阪まで乗り入れていますが、R26編成としてはあまり団体臨時運用には入らなかったこともあり、R26編成としては金沢が最西端。北限はR1編成時代もR26編成化後も青森まで入線。R1編成時代に入線した関東地区はR26編成としてTDL臨などでの活躍はあったものの短期間で終了。「みのり」運転時はR1編成だったこともあり長野への入線履歴もなく、信越山線区間へは長らく未入線のままでしたが、2014年以降運用入りとなった「くびき野」で新井までの入線を果たしました。それまでは特急運用にしか入らなかったR26編成ですが、2014年の「くびき野」担当開始後は「くびき野」運用を中心として活躍。2014年12月に検査出場となりましたがすぐに故障を起こしてしまい、2015年1月の臨時「いなほ」を最後に運用を離脱。長らく留置が続き、4月に秋田へ機関車牽引により送られましたが、同年6月に再度検査を出場。糸魚川快速として最後の活躍を続けます。
R1編成として新潟に配属された1997年は、ちょうど6両のT編成が配属され始めた頃。辿って来た経歴は異なるとはいえ、今もほとんど変わらぬ姿で新潟の地を駆け抜ける貴重な編成です。

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