ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

創造と模倣についてー補足ー

2017年12月28日 16時09分16秒 | ことば
これまで2回にわたりアンディ・ウォーホルの作品を取り上げ、その意味や背景を考えてきました。
ここで、自分の考えを整理する意味も含めて、補足をしてみたいと思います。

前2回の記事のタイトルは「創造と模倣について」となっております。
私たちは日常的に創造や模倣と言う言葉を使っております。
この場合この2つの言葉は、対立する概念で使われることが多い事に気がつきます。

独創的なアイデアで物を造ったりすることを創造的と言い、他人が造った物を真似したものを、模造品とか模倣と呼んでいます。
そしてこの場合、模倣が創造より劣った概念と思っています。

さて、この模倣という概念は本来西洋においては古くはギリシャ哲学に由来する概念です。
真理は自然界や世界に内在するものであるのであって、現代人の私たちが考えるように諸個人の頭脳の恣意的な働きの中にあるのではないとする考え方です。
このことをミメーシスと言いました。
このミメーシスを日本語に訳するときに「模倣」と訳したのが誰なのかはわかりませんが、今の私たちは「模倣」をその起源的な意味にではなく、複写などと同義語のように扱っています。

参考までに、この「ミメーシス」を巨大辞書では次のように書かれていました。

<ミメーシスとは西洋哲学の概念の一つ。直訳すれば模倣という意味であり、これはプラトンの提唱した自然界の個物はイデアの模造であるというティマイオスという概念からの由来である。アリストテレスがこの概念を受け継ぎ、ミメーシスこそが人間の本来の心であり、諸芸術の様式となっているとした>

乱暴な言い方が許されるのなら、世界を「模倣」することが、哲学者や芸術家(この言葉も実は近代的な概念の一つなのだが)の仕事と考えられていたのです。
それ故、「模倣」は複写とは全く違う意味を持っていると考えます。

現代においては芸術家の仕事は、自己の存在を「表出」することだとする考え方が主流になっています。
この考え方は実は古くからあるものではなく、近代になって表れてきた考え方です。
英国において産業革命がおこり近代的な生産様式が一般化してゆくにつれ、市民社会の中の諸個人が単なる工業製品の生産者とそれを使用する消費者でしかない存在をチャップリンは「モダンタイムズ」で描いて見せました。

アンディ・ウォーホルの描いた作品は大量生産の商品を描くことにより、「没個性」の現代社会を揶揄して見せたのだと考えることが出来ます。
この意味でアンディ・ウォーホルの作品が今を「模倣」しているのだと考えられるのです。


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