ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

生まれた育った所の風土と人の気質

2016年09月12日 07時09分10秒 | 日記
よく言われる事であるが、北国育ちの人と南国で育った人ではその気質に違いがあるとされる。
酒の席などでそのことを聞くとなんとなくそうだろうなとの気分になったりもする。

例えば大阪人は北国の人に比べると明るく、くよくよしない性格を持っているなどの意見がそうである。

比べることが無理なのは承知で例をあげてみよう。
鹿児島の西郷隆盛、高知の坂本龍馬に比べれば青森出身の太宰治や寺山修司、花巻出身の宮沢賢治などには明るさは少ない。
言葉を変えて言えば、西郷や龍馬には「大言壮語する法螺こき」のイメージを持つが、太宰や宮沢賢治にはそれはない。それでは寺山修司ではどうだろうか。
寺山の活動で<天井桟敷>は「大言壮語する法螺こき」の要素が無いわけではないが、彼の初期の俳句や短歌を見ると寺山の気質は元々は暗いというイメージを持ってしまう。

いやいや、その意見はおかしい、ということばが聞こえてきそうである。
西郷や龍馬は政治の分野で活躍した人だ、太宰、寺山、宮沢賢治などは小説や劇作の分野でのことだろう。
活動した分野が違えば、それに適した気質が異なっているのは当然のことだ、との意見も一理あるのかなと思ってします。
分野と時代が違えば、求められる人物の気質も違ってくるのでしょうね。

私には学生時代からの友人で名古屋、大阪、香川に知り合いがいる。
彼らと自分の気質を比べると、自分はやはり暗い方に属しているのかなと思うこともある。

今はグローバルな時代なので、「生まれ育った所の風土」などにはあまり影響を受けない気質の人が増えてきている事に間違いはない、と近ごろは思っている。
環境の違っている人たちとの意見や気持ちが、今はたやすく知ることのできる手段を私たちは持っています。
グローバルな時代にはそれに見合った気質の人が求められているのでしょうね。






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