ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

人は移動するものであるー柳田邦男「海上の道」を読んでー

2017年12月08日 14時56分08秒 | 読書
来週の土曜日、「秋田県民族学会」の総会と忘年会が開催されます。
わたくしは民俗学の事は全くの門外漢なのですが、数年前より高校の同窓生よりその会合に参加してみないかと誘われていたのです。

民俗学などと言う学問分野は、地道で根気のいる調査や研究を必要とするようで、そんな分野など自分にはとても不向きなので敬遠してました。

ですが、これまで何度も誘われていたこともあり、今回重い腰を上げて見ることにしました。
事務局の方に参加の返事を出したところ、早速お礼のメールが届いたのですが、一つ困ったことがありました。
それは初参加者には自己紹介と簡単な挨拶をお願いをすることに、なっているとの事でした。

いやいや、これは困った事になったわい、と思いましたが今さら参加を取り消すわけにもゆかず、何とか人前でしゃべることなどを泥縄で考えているところなのです。

学生のころ、柳田邦男の「海上の道」を読んで、日本人は一体どこから来たのかを考えてみようとしたことを思い出しました。
学生の時の本などはほとんどが散逸してしまっているので、今回そのために角川ソフィア文庫から出ている「海上の道」を買い求め、今泥縄で読んでいるところなのです。

日本人の祖先がどうやって海を渡ってきたのか、そもそもなぜ海を渡るという危険も顧みずそのようなことをしたのか?
これによると人は本来「移動することを好む」のであるという説に触れられておりました。

なるほどなと自分にも思い当たる節があります。
わたくしは東京で学生生活を送っていた時、5年半の間で住居を6回変えていたのです。
郷里に帰ってからは職場を5回ほども変えました。

なるほど、「人は移動することを好むものである」と言う説は私の人生はピッタリな訳です。
さて、「移動することを好む」という事は何も空間的な移動、即ち引っ越しや旅暮らしに限った事ではありません。
空間の移動を伴わない移動があるのでしょうか。
それは、興味の対象が時々により変化してゆくことも含まれているのではないでしょうか。
これは「精神の移動」と捉えることが出来ます。
「思念の移動」と言っても良いかと思います。

男女の仲における「心変わり」も「思念の移動」と考えると、納得のいく気がする御仁もいるかと思います。
「心変わり」が人間の本性なのかも知れませんね。








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