ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「因果」と「相関」

2019年02月24日 12時00分26秒 | なぜ?どうして?
出来事の原因と結果に何かしらの関係があると考えた時、その関係がどんなものなのかを知りたくなります。
たとえばこんな例です。
試験を受けて思わしくない点数だったりした時、勉強不足が原因だったのか、それとも前日から発熱があり最悪の健康状態の為結果が思わしくなかったのか、などです。
また、別の例を挙げたみましょう。ある夫婦が何かしらの理由により離婚したとしましょう。
離婚に至る理由が夫のDVだったり、家庭を顧みない身勝手な伴侶の行動だったりします。
その場合、「そもそも、結婚したことが間違いだった」と思ったりしますね。

さて、ここからが本題です。
先に挙げた試験の結果の件を考えてみましょう。
試験の点数が低かったのは「勉強が足りなかったから」とか「体温熱が高くて頭がよく働かなかったから」と考えるのは、結果が特定の原因にもとずくのだとする「因果論」です。
言葉を変えれば、一つの事象の結果が多くの場合、直接的に特定の結果を生み出すのだ、考えるのが「因果論」です。

次に離婚について考えてみましょう。
離婚したことについて「結婚しなければ離婚もしないので、そもそも、結婚したことが間違いだった」と考える人がいるとしましょう。
この場合、離婚の原因は「結婚したこと」にあるのでしょうか。
離婚した当事者の心情としては理解できますが、「離婚した原因が結婚したことにある」とする判断ははたして其れでよいのでしょうか。
試験と離婚の事例を「結果と原因論」から見ることにしましょう。
試験の結果が良くない原因を勉強不足にあるとする考えはそこに「因果関係」があると認めることが出来ます。
一方離婚の原因は結婚したことにあるとするのは結婚と離婚に「相関的な関係」を認めることが出来ます。

様々な事象には「相関関係」は認められても「因果関係」も認められるとは限りません。
私たちは身の回りの出来事の相関関係を因果関係と誤って認識してしまう事が少なくありません。
基因にしか過ぎない事柄を「必ずそうなったしまう因果がある」と思い込むことがあるのです。

「相関関係」を「因果関係」と誤って認識することを少なくすることは、簡単なことではありません。




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