ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

色のふしぎ

2019年07月05日 17時13分24秒 | なぜ?どうして?
目に見えるほとんどの物質には形と色が備わっています。ところが見えないモノ(コト)にも色があることがあります。今日はそれについて考えてみましょう。思いつくままに挙げてみましょう。

真っ赤な嘘。白々しい態度。黄色い歓声。腹黒い人。桃色遊戯。赤の他人。黒白をつける。黒い疑惑。グレーゾーン。頭の中が真っ白になる。
などの言葉があります。

「嘘」には目に見える形と言うものはありません。ですがなぜかしらそれらの形のないものに「色」をつけて状態や事柄を表しているのです。これって不思議ですね。
私たちは普通には形と色は不可分のものとして了解しています。形のある物には必ず色も備わっていると考えるのが普通です。そして形と色は目に見えるものです。「嘘」や「態度」は具体物として目の前にあるわけではありません。
本来、具体物でないのモノやコトにわざわざ色をなぜつけるのでしょうか。
ここで「真っ赤な嘘」について考えて見ましょう。真っ赤な色は誰の目にも目立つ色です。ですから誰の目にも判ってしまうような嘘を「真っ赤な嘘」と言っているのかも知れません。
所で英語にWhite lieと言うのがあります。直訳すると「白い嘘」なのです。これの意味は「罪のない嘘」なので、意図的な嘘ではなく、社交辞令のような嘘、すなわち「奥様はいつもお綺麗でいらっしゃいますね」などのお世辞などの事だと思われます。
罪のない嘘を「白い嘘(White lie)」と言うならば、その反対の罪のある嘘を「黒い嘘(Black lie)と言うのかなと思ったりしますが、どうやら英語ではそのような言葉はないようです。
外国語にも嘘についてこのような事例はあることが判りました。
ここで嘘に色を付けるのはなぜなのでしょうか、と言う疑問がわいてきます。
真っ赤なとか白い「嘘」の色は実は「とんでもない」とか「たいしたことはない」とかの程度の大小を表すために色が与えられていることに気が付きます。

「真っ赤な」のときは「すごい」の意味に、そして白い(White lie)のときは「すこしの」と言う意味にそれぞれの赤と白の色が使われているのです。
色を程度の大小を表す「副詞」として使われているのは、面白いと感じた次第なのです。
ほかの色ではどのようにしてそれを使っているのでしょうかね。時間があればまた考えて見ましょうか。

ちなみにわたくしが所有する車の色は「まっかな赤」ですが、この車は嘘を付きません。ドライバーの意思に反した行動をすることなどは決してありません。きわめて正直者なのです。




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2 コメント

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Unknown (猫の誠)
2019-07-14 23:07:52
 このブログはたとえとしての色だと思いますが、小生には、文字や概念に色がついて見える場合があります。例えば4は緑で、8は黄色です。子供の頃は四月は緑の季節なので4が緑なのだろうと思ったりしましたが、そうではないのです。7は茶色に見えるから7月という季節には合わないのです。母にいうと頭が変だと心配されそうで死ぬまで言えませんでした。しかし数年前、日経新聞で、それは共感覚だと知りました。なんだか変な話になりましたね。
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はじめまして。 (8ちゃん)
2019-07-15 07:13:23
当ブログを見ていただき、ありがとうございます。
そのような特異な感覚をお持ちの人がいるのですね。それを共感覚ということもはじめて知りました。日常生活で不便さを感じることはないのでしょうか。
共感覚は他の人では持ち得ない貴重な才能ということになりますね。
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