ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

テレビの「見方」。

2017年05月02日 21時18分27秒 | ことば
最近と言ってももう数年になりますが、テレビを見ることがほとんどなくなりました。
興味をそそる番組がないのが大きな理由です。
ニュース番組でも、何か格別な出来事がない限りテレビでの報道を見ることはありません。
次の朝の新聞を読めば、大体の用は済みます。其のときにリアルタイムの報道に接しなくとも事実を知ることはできるからです。

テレビは映像の撮り方によっては、その時起きている現象よりも過大に表現する傾向があるようです。
例えばこんな画像がありました。
どこそこでは大雨になっています。と言って画像を放送します。
雨の降る画像を流すわけなのですが、その映像の「造り」が、わざとらしいのです。
具体的に言えば、雨が地表に強く叩きつける様を撮るときに、人の眼の高さで撮影するのではなく、あえて地上すれすれのローアングルで撮っているのです。
そうすることにより地上にたたきつける雨の強さを、見る人に強く印象付けることが出来ます。
劇映画などではよく使われるローポジションからの映像にしているのです。

報道番組ではこんな小細工は必要ありません。人の自然な目線で映像を撮ればいいのにと思うことが、多々見受けられます。

また、テレビの報道番組は同じ映像を繰り返し放映しますね。同じ事柄を何回も報道するのですが、見落とした人にとっては今見ている映像は新鮮なものに映るかもしれませんが、何回も同じ画面を見る人も中にはいるわけです。

こんな時はまた同じニュースをやってるな、と思うわけですが、繰り返しの映像は人の脳にとってはどんな作用をもたらすのかな、と考えることもあります。

勉強するときのことを考えてみましょう。繰り返しの反復学習が記憶を強くもたらすことが知られています。反復学習することがその記憶を強く脳に残すことは学校での学習などで経験していることです。
このようにテレビから同じ映像を繰り返し見ることの影響は少なくありません。その結果、どのようなことになると思いますか?
一つの出来事の繰り返しの映像が大きく脳裏に焼き付けられるのです。
言葉を換えれば、それほど重大ではない事象でも大きく印象付けることが意図的に可能になるのです。

かって、それを効果的に利用した国家指導者がいたこともあります。

そのような訳で、私は熱心にテレビを見ることをやめました。






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