ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「改訂版」について

2018年01月10日 10時50分55秒 | ことば
学術書や研究書、辞典類は「改訂版」が出されることがあります。
それはその時々の社会変化に応じて、新しい発見や研究成果などが一般化していき、旧来の学説が適用できなくなったことなどによるものです。

また、小説作品が、雑誌に連載されたのちに単行本として刊行される事があります。
その時に、字句の修正などを施して、「定本」として刊行されることがあります。

文字で書かれたものは、このような「改定」が可能になります。
そもそも、「改定」とは一度発表されたものにその後に、改変を施して再発表することと考えましょう。

さて、文字以外で表現されたもの、例えば絵画や写真は「改定」が可能なのでしょうか。
スタジオ内でカメラと対象物の位置関係、ライトによる光の当て方を厳密に記録しておき、それを再現する事は可能に思えます。そしてカメラワークを少し変えるとかの「撮り直し」は可能になります。
ですが風景写真や風景の中に人物が存在する光景は、厳密な意味での再現が不可能なのです。

一度発表された写真の上に重ね撮りは不可能なのです。
絵画の場合も原理的には不可能と思われます。
一部の例外として、絵が描かれたのちにその絵の一部に後代の人が説明の為に文字を描き加えた例はあるようです。

何故、こんな事を思いついたかと言うと、この度ソニーから「アイボ」が再販されると知ったからです。
「アイボ」は知っての通り犬型ロボットです。
ことしの干支は戌年なので「アイボ」を再販すれば、きっと多くの需要があるだろうと考えたのでしょうね。
多分、今度の「アイボ」は以前のアイボの「改定版」となる事でしょう。
技術は以前のアイボが造られた時よりは大きく変化してきているからです。

さて、ここまでこんな事を考えてきて、ふと思ったことがあります。
「人の改定版」は可能なのかという事です。

遺伝子操作による「クローン動物」は今や可能な技術となっているようですが、「人の改定版」は決して行ってはいけない技術です。

仮に「人の改訂版」が可能であるならば、それは諸個人の内的な生活の不断の研鑽と努力により自己的に行う以外にはないと思うからです。
誰かが「自己の改訂版」を外部から作ってくれるなどと思ってはいけないのです。




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