ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

戯曲「るつぼ」の読み方ーその4

2019年12月29日 10時02分01秒 | 読書
前回(第一幕)まではパリス牧師の家でアビゲイルとプロクターが出会い、両人の過ぎ去った過去をめぐるお話でしたが、今回はそれ以降に何があったのかを見ていきましょう。第二幕はあれから8日間が過ぎています。舞台はプロクター家の居間です。プロクターと彼の妻のエリザベス、それに召使のメアリ・ウオレンやプロクター家を訪ねてくる数人の人たちによりセイラムでの魔女騒ぎの進行が語られてゆきます。
セイラムでの魔女騒ぎは収束するばかりかますます拡大してゆきます。
セイラムでの法廷に証人として出かけていたメアリ・ウオレンの口からは魔女と目された人の動静が知らされます。80歳にもなる老女までが裁判に引き出され、魔女であると自白したとか、誰それは魔女であること認めなかったので有罪になるらしい、などが知らされます。
ここで「魔女裁判」について触れておきます。「魔女裁判」は宗教裁判であって、今の私たちが知っている市民社会での刑事裁判とは大きく様相が異なっています。魔女とは悪魔の手下として彼の利益のために働く人間の事なのですが、悪魔そのものではないため、救済の道が残されています。それは悪魔と取引したことを認め、それを悔い改めることでした。その人物は減刑されます。神は保護を求めてくる者には慈悲を与える寛容さを持っているからでした。一方、自分は悪魔とはどんな取引をしたことはないなどの主張をする人は、有罪となることがあります。その理由はそのような人は「神をも恐れぬ不届き者」だからです。神をも恐れぬ不届き者は神のご加護を受けられないばかりではなく、神の存在を否定する者と見なされるわけです。

プロクター家にヘイル牧師が登場します。ヘイル牧師はセイラムの魔女裁判の調査の為派遣されてきた牧師です。
さて、自分たちには関係がないと思っていたプロクター家にセイラムの警察署長がやってきます。そして、エリザベスは裁判所の命により逮捕されます。
ヘイル牧師はエリザベスが逮捕される時に立ち会っているのですが、次のように発言します。
「エリザベス、あなたは悪魔なぞ、いないというのか。もし悪魔を認めないのなら、神をも認めないのと同じになるが、それでよいのか」というのです。

ヘイル牧師のこの発言には大きな意味があります。キリスト教の世界観がここには良く表されているとわたくしは思いました。神は世界の救世主であるのだが、何から人を救済するのか、という事です。それは悪魔の手から現世の人々を守るのが神の仕事なのと考えるのが自然です。もし悪魔そのものが存在しなければ、神は仕事を失い、存在理由さえもなくなってしまいます。おかしなことですが悪魔の所業から人の世界を守るために神が存在すると考えれば、悪魔がいることが神の存在理由になってしまうという逆説がここで起きてしまいます。神が誰により造られたかは分かりませんが、その時、対になるものとして悪魔も造られたのでしょうか。

この戯曲が題材としたアメリカは当時はイギリスの植民地でした。そこには新天地での生活を切り開いて行こうとする実直なプロクターのような人物と旧来の世界観に根差した生活に規範を置く人々との確執があったことが判ります。
さて、実はプロクターは日曜日ごとに教会に出掛け礼拝を受ける「敬虔な清教徒」ではありませんでした。農作業の忙しさを理由に日曜礼拝は欠かさなかったわけではなかったのです。プロクターは教会へは出かける機会は少なかったが、家ではお祈りを欠かさなかったし、何より農作業に励むことが自分に与えられた仕事なのだと考えていたのでした。

エリザベスが誰かの告げ口により法廷に呼び出されたのだと考えたプロクターはそれがアビゲイルの仕業であると予感して法廷まで出かけ、妻を守ることを決意するのです。

この項、次に続く。







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