
ワカオライデンと言えば、故荒川調教師の奔走なくして、種牡馬としての道は拓かれなかった。
ワカオライデンと言えば、Nijinsky内包牝馬とで走りまくった。
ワカオライデンと言えば、中央>地方の人にはライデンリーダーが代表産駒だが、地方>中央の人で同意見なんてことはほとんどないだろう。
ワカオライデンと言えば、トモ甘が多くて、柔も多くて、芝>ダートの可能性も残された結果よりもウンとあっただろう。
ワカオライデンと言えば、ミルソプラノ(トップ画像)に種付けの段階から乗っていた。この件は荒川先生にも話してあって、会うたびに「どうしてる?走ったか?」と気にかけてもらっていた。
荒川先生としてはワカオライデン産駒で走る馬はすべて手元に、という想いがあって、実際にほぼ独占していた。ツキハシレ、ツキノマイヒメの神部師は荒川先生の師匠スジのはずだしね。
競走馬時代のことははしょります。キリがなくります。中京でオグリキャップ(中京盃)と同じ日に勝っている(ゴールド争覇)なんてこともあったりするのですが…。
拙ブログの記事です。シンプウライデン世代の話です。
『名古屋優駿への道1997年』
『名古屋優駿1997年』
エフワンライデン世代からは…。
『名古屋優駿1998年』
新緑賞(1993年)ヴィデオより


ワカオライデン 合掌
ワカオライデンと言えば、Nijinsky内包牝馬とで走りまくった。
ワカオライデンと言えば、中央>地方の人にはライデンリーダーが代表産駒だが、地方>中央の人で同意見なんてことはほとんどないだろう。
ワカオライデンと言えば、トモ甘が多くて、柔も多くて、芝>ダートの可能性も残された結果よりもウンとあっただろう。
ワカオライデンと言えば、ミルソプラノ(トップ画像)に種付けの段階から乗っていた。この件は荒川先生にも話してあって、会うたびに「どうしてる?走ったか?」と気にかけてもらっていた。
荒川先生としてはワカオライデン産駒で走る馬はすべて手元に、という想いがあって、実際にほぼ独占していた。ツキハシレ、ツキノマイヒメの神部師は荒川先生の師匠スジのはずだしね。
競走馬時代のことははしょります。キリがなくります。中京でオグリキャップ(中京盃)と同じ日に勝っている(ゴールド争覇)なんてこともあったりするのですが…。
拙ブログの記事です。シンプウライデン世代の話です。
『名古屋優駿への道1997年』
『名古屋優駿1997年』
エフワンライデン世代からは…。
『名古屋優駿1998年』
新緑賞(1993年)ヴィデオより



ライデンリーダーが『地方競馬・笠松競馬』の存在を
私の心へ強烈に刻み込んでくれた馬ですね。
オグリローマンは、オグリキャップの妹のイメージが強かったし…
なので私は、やっぱりライデンリーダー=ワカオライデンですね
それはさておき、
ライデンリーダーによって刷り込まれた『笠松』に
明日の分のお金も吸い取られ行けなくなりました…
ライデンリーダーがナンバーワンではないことは確かですね。ライデンリーダーはオグリリーダーの下でした。
ワカオライデンといえば、サブリナチェリーが思い出します。
もし、安藤勝騎手に限定免許の件が無くてサブリナチェリーに騎乗し続けていたら?
もし、現在のようにダート短距離交流競走があったなら?
サブリナチェリーは、どの様な競走成績を残したのでしょうか?
(もっとも、勝負事にタラレバは禁句でしょうが)
サブリナチェリーを追いかけて金沢競馬まで出かけたのが思い出です。
まずは何といってもこの馬だと思います。ワカオライデン産駒が未知の段階での突出でしたから…。デビュー戦のバネのきいたフットワークが衝撃的でした。
小倉まで追いかけました。結果に打ちひしがれました。当時はジャパンカップへの道をリアルにとらえていましたから。
エフワンライデンがもっとも大切な時期に骨折しなければ、というのタラレバに加えたいです。