ISONOその後

退職後の日々

京都散策

2014-10-25 22:13:58 | 日記
3姉妹で京都を散策することになった。
行先も決めず近鉄電車に乗り、車内でガイドブックを見ながら行先を相談するという、なんとも無計画な旅だ。

本日は、京阪出町柳駅で下車し、寺町通りをブラブラ歩くことに決定。
鴨川に架かる橋の上から、高野川と賀茂川が合流して鴨川になる地点を見つけ感動した!

橋を渡ると豆大福で有名な「ふたば」があったので、15分ほど並んで、豆大福とよもぎ餅を購入。


出町柳商店街を抜け寺町通(京都御苑の東側)を南に歩くと・・


清浄華院(しょうじょうけいん)
があった。

「浄土に咲く蓮の花のように清らかな修業ができる場所」という願いを込めて名づけられた浄土宗のお寺。
平安時代、成和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師円仁が宮中に禁裏内道場として建立した。後に後白河、高倉、後鳥羽3天皇の帰依を得た法然上人がこの道場を譲り受け天台宗から浄土宗に改宗。
境内には佛教大学の浄山学寮があり、学生たちのお念仏が響いていた。
秀吉によりこの地に移された。

篤姫様の曾祖母の墓の前で

篤姫の曾祖母は公家の堤代長の長女で清浄華院の塔頭「松林院」が堤家の菩提寺であることからここにお墓がある。


魯山寺


天台系圓浄宗の大本山で比叡山第18世座主元三大師良源が開山。
紫式部の邸宅跡として有名。
「元三大師の三に因んで3の付く日には護摩が焚かれる」とカメラのシャッターを押してくれた青年が教えてくれた。ラッキーなことにその日は10月3日だったが時間がないので諦めた。

紫式部の曽祖父藤原兼輔、伯父為頼、父為時へと伝えられた広い邸宅だった。紫式部はこの邸宅で産まれ育ち、藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆した。
「源氏の庭」と名付けられた庭

写経している若者を横目に、我々は廊下に腰を掛けて、しばらく庭を眺めていた。

梨木神社

明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)實美(さねとみ)父子を祭っている。
境内にある井戸の水は「染井の水」と呼ばれ京都3名水の1つ(現存するのはここだけ)
境内には約500株の萩が植えられており、ちょうど満開だった。

新島襄旧邸


あいにく内部の見学ができなかったが当時としては画期的なセントラルヒーティングを施し、トイレは洋式トイレ、土間のない台所、ベットや椅子など新島襄が暮らした様子をそのまま保存されている。

この辺りで雨が激しくなってきたので、タクシーで京都駅に直行。伊勢丹で遅い昼食とお茶をして夕飯に「はつだ」の焼肉弁当を買って帰路に着いた。