行政書士 北東事務所ブログ (入管実務)

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「信義則と権利濫用」について

2011年10月28日 | 法律解釈
 これは、私が過去に某MLへ投稿したものです。今回、少し手を加えて発表します。


 「今日は、法の解釈と登山について、最近、私が思いついたことを書かせていだきます。行政書士の実務に直結したものではありませんので、みなさんに役立つかどうかは、わかりません。ですから、戯言として読んで下さい。

 法を解釈をすることは、非常に登山とよく似ています。民事において、権利関係が非常に複雑な事案でも、一つ一つを解き放すと、以外に簡単に問題が解決するものです。ただし、その一つ一つが、面倒なことであることは確かです。

 一方、登山は、どうでしょうか。これも、みなさんの一歩一歩の歩みでしか、頂上に進むことはできません。早く頂上に着きたいと思っても、それは、みなさんの足の長さで決まります(笑)。

 しかし、みなさんの歩みには、必ず、太陽が照り輝いています(ここでは、登山にも、夜中登山がありますが、無視しますね)。太陽は、みなさんが、今、どこにいるのか、そして、どの方向へ進むべきかを教えてくれます。困った時は、空を見上げればいいのです(笑)。

 ここで、太陽とは、民法1条2項の「信義誠実の原則(信義則)」を言います。すべての法の解釈の段階で、「信義則」が支配しています。この原則を忘れないで下さい。太陽が、輝いているとは、そういう意味です。

 また、太陽が雲に隠され、どうしても困った場合には、「仏様」のご登場を願いましょう。それが、民法1条3項の「権利濫用の法理」を言います。
 
 しかし、仏様をそうそう期待しないで下さい。日本に住む約1億2千万のすべての人に対応できるものではありません。仏様は、超多忙です(笑)。

改正前の民法1条2項
「権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス。」
改正前の同法1条3項
「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス。」

 この「信義則違反と権利濫用」について、有斐閣のSシリ-ズの『民法1-総則』では、次のように書かれています(日本大学法学部の山田卓生教授が執筆)。

 「この両者の関係はどのような関係に立つか。両者は援用される領域が異なると考えるのか、重複して援用されると考えるのか、という問題がある。いずれの法理を使うにしろ、権利行使を制約しようとする点では共通であるが、おのずから援用される場は限定される。とくに信義則は、権利の行使、義務の履行としていること(1条2項)からもわかるように、契約関係が前提されているといってよ
い。これに対して権利濫用は、契約関係のない当事者間で問題とされることが多
いといえる。

 しかし、これは一応の基準で、判例の中にも、「信義則に反し、権利の濫用として許されない」というように、双方を援用するものがある(たとえば、時効の援用に関して、最判昭51.5.25民集30巻4号554頁)。」

 このように「信義則と権利濫用」については、判例と学者において、見解の相違があるようです。その上で、私の戯言を“楽しんで”下さい。

 それでは、戯言を続けます。それから、登山道には、時々「お地蔵さん」がおられますね。仏様のご登場をそうそう期待できなくても、「お地蔵さん」ならけっこうお目にかかれます。その「お地蔵さん」は、民法でいえば、90条の「公序良俗」にあたります。

改正前の民法90条
「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス。」

 これに関連して、元大阪弁護士会の役員をしたことがある弁護士を父親に持つ友人から聞いた話です。銭湯・・・というよりは、健康ランドでしょう。その健康ランドは、「外国人、お断り」という張り紙をして、外国人の入場を拒否していたそうです。地元の自治体から、外国人を拒否しないよう指導を受けていたそうですが、外国人を拒否し続けました。そこで、三人の外国人から訴えられて、一
人につき100万円計300万円の支払いを命じられたそうです。現在、「外国人、お断り」による裁判所での損害賠償金額の相場は、100万円だそうです。みなさん、もうそんな時代です。外国人差別に対しては、非常に厳しいですよ。
お地蔵さん(民法90条)が、怒られます。

 戯言の続きです。
 また、登山なんかするのはいやだ、と言う方もおられるでしょう。ハイウェ-を自動車で疾走すれば、頂上にはほとんど歩くことなしに、すぐに行けると言われます。

 しかし、そういう方は、登山中に道に迷い、救助を求める人(法律問題を抱えた依頼人)を助けることはできません。私たちが、法を解釈する時には、太陽があり、さらに仏様とお地蔵さんがおられます。何も恐れることはないのです(笑)。

 以上の戯言は、故我妻栄博士著『民法案内1-私法の道しるべ』で、(本を探したのですが、見つからないので正確なことは言えませんが)我妻博士が、「権利濫用の法理は、『ご本尊』である。そうたびたび、出すものではない」ということからヒントを得て、書きました。