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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

圏央道生活圏が主流となる時代が来るか?

2020-05-18 21:56:23 | 日記


昨17日は早や夏日で、自然と体が動き出す。荒川右岸・圏央道横断の周回16キロコースのウオーキングに出た。歩数は37321歩で、平常日課の10キロコースが24000歩だから、妥当な歩数である。圏央道を横断する度に、いつもこうした道路の持つ意味を考える。圏央道は川島町から東へ延び、荒川を横断し、桶川市から更に東進するが、ここら当たりの圏央道は東京都心部から40キロ圏に相当する。桶川市や隣の上尾市など圏央道の内側の市町村は、従来は都心への通勤圏・ベッドタウンであったが、今回のコロナ騒動を経て、その役割というか様相を変えるのでないか。圏央道内側の市町村というと、ここ埼玉中心部だけでなく、西部の西武線周辺とか都内多摩方面も含まれるが、コロナ後は同じく役割・様相を変えそうだ。在宅ワークとかテレワークを経験して、最早都心のオフイスが一挙に不要になるとは思えないが、在宅でも相当程度の仕事がこなせるとなると、わざわざ都心通勤の必要がどこまであるかとなる。逆に、在宅ワークが今後は更に注目されるだろうし、その分だけ都心オフイスの空洞化は進む。圏央道を外側として、内側は外環道くらいまでのこのドーナッツ型の生活圏が、コロナ後は仕事に・事業に・生活等に新たな役割を担うかも。その分だけ、現状の都心は空洞化が進むことになるが。コロナが収束し、その後の経済活動の復活状況の変化を見てからでないと何とも言えないが、ドーナッツ圏と都心部の逆転的変化は、短期はともかく長期的には予想可能だろう。画像は、圏央道が荒川を横切り、左岸の桶川方面へ繋がる風景である。



話を飛躍させれば、東京近辺は石器や縄文時代は、当然ながらドーナッツ圏が生活の主流であり、都心部などは人の住めない海であった。桶川市の圏央道周辺に限って言えば、圏央道が横断している荒川左岸の丘陵地帯こそ集落というか人が多く住み、海にも近く海産・魚介類というか食料入手にも便利で、当時の人口密集地であった。こうした人口密集地が、今のドーナッツ圏に沿って広がり、現状の都心部などは海か狐狸が住む、人が住めない地帯であった。すなわち、都心とドーナッツ圏の逆転は、昔に戻ることであり先祖返りと言えるかも。まあ、一気にはそうならない、現状では空想話かも知れないが、最近の状況は何らかの変化が始める気がする。上記画像出所は、貝塚爽平『東京の自然史』(紀伊国屋書店、1979、P163)からであるが、矢印のA点が撮影地点で、同じくBは文字不鮮明だが桶川と表示している。図からは、現状の都心が海で、外側のドーナッツ圏にほぼ相当するゾーンに人が住んでいた状況が分る。
 
 この画像は、圏央道に接する荒川左岸丘陵地帯に30年くらい前にできた、新設の桶川西高校の校歌であるが、”縄文の遺跡の上に”とあるように、新設時の地盤調査でビッシリと縄文遺跡が重なり、その遺跡保存に長い日時を要したようだ。蛇足ながら、本校野球部は埼玉では弱小校の属するが、それでも昨年のドラフトで西武球団に3位に指名された選手が出たが、縄文のとにかく真っ黒な土のグラウンドで練習した成果なのだろうか。
 



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