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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

孟宗竹を切る

2021-03-26 17:47:06 | 日記



  庭の孟宗竹を切る。7~8本の細やかな竹林であったが、四季折々に風情の変化を感じさせてくれた、愛着のある竹である。何より野鳥が一旦目印の竹の枝に飛来し、そこから縁先の餌台などへ移動する、中継点の役割果たしていた。切り倒したことで、野鳥に影響あるかとかの心配あったが、それ以上に竹の勢いは凄まじく、遂に切った次第である。コンクリートブロックの簡易ガードなので根の周囲を囲っていたが、それを飛び越す勢いで竹の子が思わぬところに出たりで、今回となった。竹を切る時期は、2月頃までの竹が休んでる時が最適で、3月以降の活動期は不適と言われるから、今回3月に切ったのはギリギリと言う感じである。竹の水の吸い上げ力は半端でなく、翌日に切り口を見たら200mlくらいは溜まっており、上の画像で確認できる。水と共に多量の養分も吸い上げるだろうから、これらが驚異的な成長の源となるようだ。
  野鳥飛来と植物の関連について、かって某ブログに一文を書いたことあったので、今回と状況は全くかけ離れてるが、参考までに紹介する。その状況とは1906年の神社合祀令の時であったが、一学者が猛烈な反対キャンペーンをくり広げ、お上にたてつきついに撤回させたことがあった。その学者とは、南方熊楠であるが、彼が合祀令に反対した理由に、野鳥の活動が絡む。社会科授業の教材に活用したこともあった。

<1909年、政府は全国の鎮守の森を伐採し、集落の神社を破壊しようとした。1村1社に統合し、地域の小神社は廃し、有名神社だけ残そうとしたわけだ。この政府の命令に、猛烈な反対運動を展開したのが南方熊楠であった。彼の反対の論旨は、鎮守の森は苔・粘菌の宝庫であり、絶滅されてはたまんないということもあったが、それ以上に、鎮守の森の果たしている経済的・文化的・社会的役割を重視する視点であった。例えば、鎮守の森に聳え立つ樹齢重ねた巨木は、これを目印に鳥が飛んでくる。鳥は、一旦止まってから、周辺の田畑へ降り立ち、害虫を食べる。こうして、巨木の周辺の田畑は虫害免れ、その経済的効果は全国合算で巨額に達するとした。こうした巨木を伐採する損失は、計り知れないとした。文化的・社会的役割も、祭りや遊ぶ場を通して生活に密着してきたのが神社と鎮守の森であり、これを破壊することは心の破壊であり、その損失は金銭で計れないと言った。ここに見えるのは、各生物・植物は勿論、人間が営む暮らしや社会生活・文化も、夫々がバラバラでなく、自然と一体となって繋がっているという、生態学の視点だ。こうした生態系を守る視点から、彼は反対運動をたちあげた。これは現代のエコロジー(生態学)の視点だが、このエコロジーという言葉自体も、現代に100年先駆け最初に使ったのが、南方熊楠であった>

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