切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《切れ爺いさんの食道癌闘病記》 No.44 ・・・1年ぶり、最終検査   2024.5.17

2024-05-17 22:42:01 | 闘病記


 今日 1年ぶりに京都第一日赤病院へ行く。 1年前に食道がんについては寛解ということになった。しかしその時の胃カメラの映像には、かなり強めの胃潰瘍の傷が見て取れた。従って抗がん剤そのものは以前から停止していたものの、胃潰瘍の服薬は今後も継続するということになっていた。そして1年後にどこまで改善しているかどうかを胃カメラで確認するということで、予約がなされた。その予約日が今日なのだ。

 通勤時間帯に病院まで行くのは久しぶりだ。昼間なら30分もあれば行けるところをほぼ1時間近くかかった。とりあえず朝一番 ということだったが、既に多くの患者が訪れている。採血の順番は50という数字が打たれていた。

 その後内視鏡のコーナーへ移動する。ここにも既に数名が待っていた。もうこれで胃カメラの検査を受けるのは何度目だろうか。 2017年の8月に宇治市の健康診断で、バリウムによる胃がん検診を拒否し、会えて初めて胃カメラで見てもらうことにした。地元の中核病院だ。その時に検体が採取された。その時点で自分なりに、ひょっとしてこれはやばいのかもしれないと思ったものだ。

  9月に病院に呼ばれて結果が報告された。食道がん。 ある意味心の中に覚悟があったのかもしれない。さほど ショックは受けず、そうですかと淡々と聞いていた。ただし一般の食堂がんとは違って、複雑な手術になるので拠点病院を紹介するということで京都第一日赤病院に行くことになった。

 もしこれがバリウムであれば見つかっていたかどうかはわからない。バリウム検査には 独自に良い点があるようで、食道や胃の内壁を包括的に見られるということのようだ。一方 胃カメラは内壁を鮮明に映し出すが、内壁の内側までは見通せない。バリウムではその内側まで影という形で映し出すことができるようだ。私の友人も最近、バリウム検査で初期の小さな胃がんを発見してもらい、すぐに比較的簡単な手術で取り除くことができたという。

 胃カメラは慣れているので、胃の洗浄・喉の麻酔をジェル状の液体で行い、ベッドの上に横になる。今回は看護師さんがモニターを見たいのであればそのような角度にしますので、 という配慮があって存分に見ることができた。喉を通り過ぎて食道の中をカメラが降りていく。比較的綺麗だ。 7年前のあのただれた状態とは比較にならない。手術をした場所を通り越すと胃の中に入るが、その入り口に血が見えた。胃からの出血という意味ではなく胃カメラの先端部が触れて地がにじみ出たのだろうということだ。胃の内部は非常に綺麗な状態。 胃潰瘍の場所も少し傷のような、また血のようなものが見えたが、かなりマシにはなっていたらしい。

 しかし私はそれを見ていて予想以上に赤い血が見えたので、ショックだとくちばしてしまった。こうして検査が終わり消化器内科の前で座って待つ。この場所は主に内臓関係の癌や潰瘍などの患者が多くいつもながら、がん患者というのは本当に多いものだと思って見ていた。

 予約は9時だったので10時頃になって呼ばれた。診察室に入るとK医師の姿があり、久しぶりですねと挨拶。早速血液検査及び胃カメラの結果を報告。結果的には血液の方はほぼ100点満点と言ってもいいと言われた。腫瘍マーカーも全く大丈夫。その他の項目もほぼ問題なし。胃カメラの方は出血はあったものの、 1年前とは比較にならないほど綺麗になっているということで、心配する必要はないということだった。

 ただし胃カメラ検査の際に、念のためにということで食道の検体をわずかに検査をするということで切り取っている。結果は2週間後に予約してそこで報告を受けることになった。



 そこで特に問題がなければ日赤病院は私にとって終了となる。以後は地域の病院、あるいはかかりつけ医のところで診察、あるいは処方箋を書いてもらうことになる。もちろん心配される新たな癌や転移なども地元の方で対応ということになる。ある意味今まで以上に市の特定健診をしっかり受けておかなければならない。幸か不幸か循環器科・泌尿器科で住居のすぐ近くにある中核病院に今も通院しているので、そこで血液検査や時には CT 検査なども行うのでまあ安心といえば安心だ。

 ただし本当に食道がんが「再発」した場合には、ほぼ命の覚悟をしなければならない。転移の場合は場所によるが、最初に患った時よりも寛解の確率は大きく下がってしまう。そういった意味では、普段から体調変化に気をつけるとともに、健康な生活を意識しまた同時に覚悟もしておく必要があるだろう。

 主治医のK医師からは、よく頑張りましたと褒めていただいた。自分ではそういった意識はあまりないが、やはり第三者的に見れば、手術中に発作を起こし危険な状態になったこと、あるいは入院中眠れなくて人生初の幻影というものを見たこと、入院も退院も自分一人で全て行った、退院後もしばらくして突然の吐血・下血、激しい胃痛・嘔吐の繰り返し等々と、多々あったが何しろ服薬は今後も しばらくは続く。最終的にかかりつけ医の収束宣言を受けるまでは終わらないということになった。


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