下京区の五条大宮交差点の南西側にある。現場に着くと真っ赤な 山門がすぐ目につく。あちこち探す必要もないほどだ。あまりにもこの山門が目立ちすぎて、これだけで蓮久寺を見た感覚にとらわれてしまいそうだ。
創建は江戸時代初期の寛文元年、1661年となる。全国に同じ名前の蓮久寺というのがあるが、全て日蓮宗のお寺となる。
この赤門は一般に吉野門とも呼ばれ、これは遊女である 2代目の「吉野太夫」による寄進である。吉野大夫というのは京都において、太夫に代々伝えられてきた名跡であり、蓮久寺と関わりがあるのは2代目となる。それ以降の吉野太夫についてはよく分かっていないようだ。この吉野大夫は近代においても、文学や映画などにあるいはテレビドラマにもよく取り上げられている。当時においてもあらゆる文芸に優れ、稀に見る美貌であったといい、その名は日本各地 だけではなく、当時の明の国にも伝わっていたという。わずか36年という短い生涯ではあったが、島原における大きな存在として語り継がれることになった。
この蓮久寺も吉野太夫のお陰か、今現在でも芸能上達のご利益があるという。そういった点から様々な芸能人が参拝に訪れているようだ。
現住職は日蓮宗の教えを説く際に、怪談話を用いておりこれも非常に有名だ。説法のある日には大勢の人が集まりこれらの話を聞きに来るという。
境内ははっきり言って狭い方となるが、巨木が1本立っており本堂が控える。ガラス越しに見ると曼荼羅らしきものは見えなかった。境内の片隅に釈迦如来の石像があり、この辺りの事情はよくわからない。決して長い歴史を持つ お寺というわけではないが、吉野大夫との関連で広く名の知られるお寺となった。
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