切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

金蓮寺~大正寺・・・乙訓寺の近く  京都府長岡京市  2023.7.31 訪問

2023-08-07 21:18:58 | 撮影
金蓮寺

 

 乙訓寺の南方にあるが、阪急京都線やJR線からはかなり遠いのでバスで行くことになると思う。周囲は住宅街であり、すぐ横を小川が流れている。浄土真宗本願寺派のお寺であり、当然本山は西本願寺となる。

  

 開創は江戸時代初期の1624年(元和十年)で本尊は阿弥陀如来となる。浄土真宗のお寺には「呼び太鼓」と呼ばれる太鼓が設置されており、このお寺の太鼓は製作年や修理年が全て記録されているというかなり珍しい例と言える。お寺が開創されてからしばらく経った1662年に製作されている。その後の1700年代の修理歴も記録されていて、今現在では長岡京市の指定文化財となっている。

   


大正寺

 

 乙訓寺の東側にある。この辺りは今現在では住宅地になっているが、創建の頃は一面に水田が広がっていた地域だ。今里地域と呼ばれ水田耕作に必要な水の便が悪く、隣接する上里地域から水路を作って水を引いていた。これは定めに違反する行為だった。しかしこのことが上里地域との軋轢を生み、かなり激しい争いとなっていく。その結果このことが幕府に訴えられ、勝手に水を引いてきたということで、今里地区の責任者であった今井久左衛門が責任を問われ、一家共々全員処刑された。そのため後になって九左衛門の自宅がそのまま寺として使用されることになったと言われている。それが今現在の大正寺ではないかと考えられている。

   

 上記の争いがあったのが室町時代終わり頃であり、それ以降にお寺が誕生したということで、おそらく江戸時代初期の創建ということになるだろうと思われる。西山浄土宗のお寺であり、総本山は近くにある光明寺ということになる。あくまでも言い伝えであり真偽のほどはよく分かっていない。なお、大正寺ではペットの供養も行われていて、遠くからも葬儀や供養にやって来る人も多いようだ。


    
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