切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

雲晴寺・本瑞寺・・・太秦の寺院    京都市右京区   2024.6.7 訪問

2024-07-01 23:03:21 | 撮影
雲晴寺



 雲晴寺は京福電鉄帷子ノ辻駅の南側にある。周辺には太秦周辺ということで、松竹や東映の映画撮影所があるほか、広隆寺などの著名なお寺もある。お寺についての情報は様々調べたものの特に情報はなく、浄土真宗本願寺派という以外は何もわからなかった。

 現地についてみると閉門状態であったものの、お寺の様子は十分見ることができた。本堂などの建物はかなり大きな鉄筋コンクリート造りで、まさしく割り切った現代的な仕様となっている。もちろんコンクリート造りと言っても、建物の様子は木造建築の本堂などの建物と類似しているように設計されている。境内らしき敷地は特に見当たらず、わずかな空き地に緑が見られる程度であった。壁面には西本願寺の掲示板があり、浄土真宗であることを示していた。

  


本瑞寺

 

 本瑞寺は京福電鉄帷子ノ辻駅の南側にある。すぐ隣に太秦中学校があるので分かりやすい。日蓮宗のお寺。

 このお寺は別名「村雲御所別院」とも呼ばれている。もともとは江戸時代初期の慶長10年 1605年、日浄聖人により開かれた。彼は元は天台宗の僧であったが、日正聖人との出会いにより改宗し、日蓮宗の僧となり身延山に修行に行ったとのことだ。

   

 その後慶長12年に日秀尼公によって開創される。彼女は豊臣秀吉の実の姉であり、嫁いだ後、次々に子供を授かったもののすべて若くして亡くなっている。その中の長男である 秀次は秀吉の養子となって関白にもなるが、秀頼が誕生してからは疎外されるようになり、後に高野山で自害させられている。
 日秀尼公は天皇より広い土地を与えられ、そこに瑞龍寺を建立。このお寺は村雲御所と呼ばれ日蓮宗の中では極めて珍しい、唯一の門跡寺院として大いに栄えた。その後この周辺が 村雲御所の領地として与えられ、その時に本瑞寺が創建されたと言われている。
 諸説あるようだが、その辺りの詳しいことはよく分かっていない。このような経過に基づいて村雲御所別院と呼ばれるようにもなったという。

 

 敷地は特に広いと言えるほどのものではないが、やや控えめな本堂の建物があって、その周囲が境内となっている。緑が非常に豊かでちょうどアジサイの花も咲いていた。石造物や石柱もあり、お寺としての静かで落ち着いた雰囲気が十分に伝わってくる。全体として見れば一般的なお寺とさほど変わらないように思える。御所別院と言った雰囲気ではないように感じた。もちろんあくまでも私個人の主観的な感想となるが。

  

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