切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

天龍寺・・・入場料無料の放生池に群生するハス  京都市右京区  2022.7.23

2022-08-01 23:54:47 | 撮影
 

『歴史の寺 史跡・特別名勝 天龍寺ご案内
天龍寺。臨済宗天龍寺派大本山。 正しくは霊亀山天龍資聖禅寺で、 京都市右京区嵯峨に位置する。 一三三九年(暦応二) 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。この地は、檀林皇后 (嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあったところで、 のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・ 亀山殿が営まれた。後醍醐天皇はここで幼少期を過ごした。 夢窓国師は堂塔建立の資金調達のため、「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、 一三四三年(康永二)にほぼ七堂伽藍が整った。夢窓国師の門流は隆盛し、 天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。創建以来、天龍寺は一三五六年(延文一)をはじめ、 八回の大火に見舞われ、現代の堂宇の多くが明治期の再建。夢窓国師による庭園(曹源池)は、 国の史跡・特別名勝第一号に指定、 一九九四年(平成六) 世界文化遺産に登録。』
  (パンフレットより)

  

『由 緒
 当寺は暦応二年(西紀一三三九)奈良県吉野の行宮で崩御された南朝の後醍醐天皇の冥福を祈るため足利尊氏が発願し、北朝の光嚴天皇の勅許を得て名僧夢窓国師を開山として創建された寺である。
詳しくは霊亀山天龍資聖禅寺と云い、室町時代京都五山第一位に列せられた。この地は始め後嵯峨、亀山両上皇の離宮亀山殿であり、後醍醐天皇は幼少より青年期に至るまでここで成長修学された因縁の場所である。当寺建立のためには光嚴天皇、足利尊氏は諸国の荘園領地を寄進されたが更に御朱印船、天龍寺船と云ふ貿易船を中国に派遣して、その利益を以って建立の資金とした。それに依り応永年間(西紀一四二五)には七堂伽藍をはじめ一二〇の支院等があり、四キロ四方にわたる壮大なものであった。
然るに八回の火災に遭い、その最後は幕末元治元年(一八六四)蛤御門の変の時薩摩の兵火にかかり、全灰燼に帰した。明治三十年に至って漸く現在の伽藍を復興するに至り現境に至っている。特別史跡名勝天龍寺庭園曹源池は方丈の西に在り借景に依る池泉回遊式の禅宗庭園としては、開山夢窓国師晩年の作庭として随一を誇るものである。
   天龍寺』  (駒札より)

  

『天龍寺
 霊亀山と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。平成六年(一九九四)に世界文化遺産に認定登録された。
 足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応二年(一三三九)、夢窓疎石を開山に迎え創建した寺院で、当初は暦応資聖禅寺と称されたが、尊氏の弟直義が見た金龍の夢に由来し、天龍資聖禅寺と改められた。その後、寄進や天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ、至徳三年(一三八六)には、京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。しかし、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の諸堂は明治以後に再建されたものである。夢窓疎石の作庭と伝えられる地泉回遊式庭園は曹源池を中心に遠景の嵐山と近景の亀山の借景を巧みに取り入れており、国の史跡及び特別名勝第一号に指定されている。また、寺宝として、絹本著色夢窓国師像など数多くの重要な文化財を蔵している。
   京都市』    (駒札より)

  

 嵐山にある巨大寺院、天龍寺へ行く、とはいっても今までに何度も訪れている。春の桜の季節。そして秋の紅葉シーズン。特別名勝の庭園にこれらの風景は、ただただひたすら素晴らしいとしか言いようがないほどの訴求力を持つ。この天龍寺がハスの名所であることを今まで知らなかった。というわけで今回ハス撮影に初めて訪れた。

 天龍寺は大概どのシーズンに行っても人が多い。春や秋は特別に大変な人出となる。ほとんどの観光客はその圧倒的な庭園が目的だ。かなり距離があるが、中央にある大きな池を一周することができる。と言っても池の周りではなく、それこそ広大な庭園の端を一周する散策路が設けられている。途中結構高いところまで登る。様々な角度から見る庭園だけではなく、本堂をはじめとする大きな建築物も見どころだ。
 しかし天龍寺の建物の中では2箇所の門を除いて、後は全て明治から昭和にかけて再建されたものばかりとなる。長い歴史を持ちながら非常に残念なことに、幕末期の騒乱から激しい戦いに巻き込まれ、ほとんどが消失してしまった。そういった意味では建物そのものに歴史的な古さというものはない。かろうじて勅使門中門が戦国時代のものであり、京都府の有形文化財に指定されている。ここに載せている写真は勅使門であり、これはもともと秀吉の伏見桃山城から移築されたものといわれる。

 さて、天龍寺のハスがどこにあるのかと思って、中央の入口を入ると勅使門がある。境内の手前に駐車場がある。その駐車場でも足りなく、さらに勅使門を通り過ぎた池の周りも駐車場となっている。実はこの池が放生池となっており、ここにハスが群生しているのだ。
 当日は休日ということもあって、そこそこの人が来ていた。コロナの陽性患者数が極めて多いのにも関わらず、何の制限もなされていないので、来る人は来るのだろう。天龍寺にも次々に人が吸い込まれていく。ところが見ていると、ほとんどの人は駐車場となっている放生池中に咲くハスを見ている人はごくわずかだ。その美しさに目を留めた若い女性たちが、お互いに写真を撮り合って喜んでいた。

  

 鞄とカメラをたすき掛けにして、放生池の周辺の柵越しに次々に撮影していく。これだけ多くのハスの花が咲いていれば本当にラッキーだ。ただひとつ残念なのが、ハスの池が柵で取り囲まれているのだが、そのためにハスの花との距離が少し長くなってしまっている。この日持参したカメラでは、最大でフルサイズ換算300 mm までしかない。そういうわけで池の中央にあるようなハスの花は、クローズアップなんてとても無理だった。たまたま池の端っこに咲いているものは、それなりにクローズアップできるが、それはどちらかといえば少数派となる。
 訪れた時間帯はもう午後だったので、すぼんでしまっている花もかなり多かったが、何とか頑張って開いているものもそこそこあり、一定の満足感を得ることができた。

 でも考えてみれば、京都のハスの名所にあたる場所は意外なほど少ない。自分なりにネットで色々調べてみたが、せいぜい10箇所もあるかないかという程度だ。今回は毎日毎日危険な暑さが続き、東本願寺の撮影時には、熱中症を起こしそうになるような有様でもあったので、それ以降は真っ青な空の撮影日和であっても撮影は中断している。何分にも自分自身が高齢者であるということを自覚して行動することが大事だ、と思い知らされたので、ここは我慢することにした。

   

 ネットでハスの名所のお寺の写真を見てみると、ほとんどのハスが大きく花開いて見事な光景だ。これを見るには朝早めに行かなければならない。一般的には昼までに大半は花びらを閉じてしまう。今回はすべて午後の撮影となってしまったので、来年度改めて朝に家を出発して撮影することにしようと思う。


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