切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

南国土佐を後にして・・・・・・反戦歌だった ?

2017-04-29 23:16:22 | 社会
    
 作曲:武政英策
 作詞:武政英策                        

南国土佐を 後にして 都へ来てから 幾歳ぞ
思い出します 故郷の友が 門出に歌った よさこい節を
土佐の高知の ハリマヤ橋で 坊さんかんざし 買うをみた

月の浜辺で 焚火を囲み しばしの娯楽の 一時を
わたしも自慢の 声張り上げて 歌うよ土佐の よさこい節を
みませ見せましょ 浦戸をあけて 月の名所は 桂浜

国の父さん 室戸の沖で 鯨釣ったと 言う便り
わたしも負けずに 励んだ後で 歌うよ土佐の よさこい節を
言うたらいかんちや おらんくの池に 潮吹く魚が 泳ぎよる
よさこい よさこい

 自分が子供の頃から知っている歌。何度も聴いて、歌詞もいつの間にか覚えていたし、ペギー葉山さんの名前も知った。

 先日、そのペギー葉山さんが亡くなられ、友人とカラオケで改めて歌ってみた。心の中に染み入る歌詞とメロディに一層、感慨深いものを感じさせられた。やはり、名曲に名歌手だと思った。

 歌詞の内容から、高知の若者が集団就職で上京し、一生懸命働きながら、時に触れ、故郷の高知に思いを馳せる切なさを詠っているものと思っていた。自分はこの集団就職全盛の暫く後の世代で、テレビで当時の記録映像を見た位の知識でしかない。とても共感できる等とは言ってはならない所にいた。それでもこの曲には、いやが応にも聴く者を惹き付け、追体験させるほどの訴求力があると思う。そんな訳で、ずっと好きな曲だった。

 ところがある新聞のコーナー記事で、この曲が反戦の歌、ということが書かれていて、? と疑問に思った。生前のペギー葉山さんもこの曲を反戦歌として歌っていたとのこと。少なくとも歌詞からは、反戦というか、戦争に関わるような内容は読めない。記事にも、どこが反戦なのかは書かれていなかった。

 ということで、いろいろネットで調べてみた。複数のサイトを読ませていただいて、概要が分かった。

 原曲は戦時中、当地出身の兵隊によって編成された部隊で歌われていたものらしい。歌詞にも「戦地」や「いくさ」といった語句があり、中国戦線での苦労と故郷への想いが込められていたもの。
 戦後、高知で酒席等で歌われていたものが注目され、後にレコード化、変遷を経て、ペギー葉山さんの歌として大ヒットしたという流れのようだ。
 歌詞の中に「鯨釣ったと」の部分は恐らく、該当の部隊が「鯨部隊」と呼ばれていたこととも関係あるのかも知れない。

 次回からは、そんな背景を思いながら歌ってみたいと思う。
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