切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府八幡市 戸津八幡神社(とうづはちまんじんじゃ)・・・農地の中に存在感

2018-02-16 21:47:32 | 撮影
  

『御由緒
 慶応三(一八六七)年十二月王政復古の大号令が発せられると 鳥羽・伏見の戦いがおこり 京都方と幕府軍との戦いが始つた
 間もなく淀城が京都方に降伏し落城する幕府軍は橋本陣屋に滞在し この為八幡への砲撃は避けられず  八幡宮を守る事態が生じた 八幡大神は 難を避け慶応四( 一八六八)年正月六日辰ノ刻(午前十時頃)に 街鳳輦にて社務所司や武装した諸神人に警固され男山を下山し 大住村(現綴喜郡田辺町大住)の奧坊拝殿へ奉安された
 しかし 幕府軍の敗走により八幡・橋本での戦火が鎮よると 京都方の長州・因州の兵が大住村奧坊へ赴き 翌八日の征討将軍仁和寺宮の八幡宮参拝の旨を告げ七日中に御鳳輦が還行することを命じた
 この命に従い早速還幸の準備が進められて大住村を出発した御鳳輦は 途中戸津村にて一時の御休憩をとられた この地は 八幡神とともに村人より尊崇されていた産上神を祭る小さな社があったところである
 一説によると この座土神の御祭神もわからず 八幡大神の御休憩の地となったご縁から 社格の高い石清水八幡宮への直接の参詣を憚っていた村人一同の願いにより 八幡宮の御分霊が勧請され 現在の戸津八幡神社となったということである
 御社殿の創建については 記録が伝わらず詳細は判明しないが 社名よりは相当古いものである
 このように戸津村と石清水八幡宮との御縁は深く村人の厚い崇敬により 現在に至っているのである
 昭和六十二年四月吉日
  戸津八幡神社』

   
 国道1号線を大阪方面へ向かい、木津川を渡ると1号線沿いに農地が広がる。少し走って1号線を離れ、農地の方に入ってしばらく走ると、目的地の「戸津八幡神社」がある。
 東側は古くからの集落があり、それ以外の周辺は農地となっている。西北方向には男山があり、国宝にも指定されている石清水八幡宮が構える。
 八幡市そのものは石清水八幡宮から地名が来たと思われるが、大阪と京都の中間地点にあり、1960年代からベッドタウン化が一気に進み、人口急増地帯となった。今でも大阪寄りの丘陵地帯では、大規模マンションが建設されており、新京阪や新名神等の新たな幹線道路も建設中で、発展都市と言える。
 戸津八幡神社は、参道入り口の鳥居の横に由緒書きがあるが、上記のようにこれを読んでいても、幕末以降のことが中心で、神社の長い歴史については何もわからない。ネットなどの情報を調べてもほとんどが写真紹介のみのもので、神社そのものの由緒には達することができなかった。
 長い参道を進んで行くと、となりに少し広めの児童公園があり、本殿はその横にあった。予想していた以上に立派な構えで、朱塗りも鮮やかな本格的な本殿である。いつ頃の建設かはわからないが、さほど古くは見えず、おそらく江戸時代の再建ではないかと考えられる。境内には樹齢300年余りという巨大な御神木がそびえ立っていた。境内全体はよく整備されていて、非常に落ち着いた静かなとても良い雰囲気。戸津地区の人々の気持ちの支えの場として、支持されていることがよくわかる。
       
  創建の詳細についてはよく分かっていないが、平安中期頃と考えられている。祭神は「品陀和気命(応神天皇)」5世紀頃の人物と言われ、「古事記」、「日本書紀」に登場する。そこには百数十歳まで生きたような書かれ方がされており、そういった点からは、神話上の人物ではないかと考えられるが、一方その頃に、朝鮮半島から様々な文化が伝わってきており、また九州に渡来人がやってきて、新たな文化をもたらしているというところから、実在の人物が後に、神格化されたものではないかとの意見がある。この辺りのところは確たる証拠みたいなものはないのでよくわからないが、記紀の性格上、やはり歴史的な出来事を背景にした、神話上の創作人物ではないかと考えるのが自然なような気がする。
 また戸津という地名はかなり昔からあったようで、「津」は港を意味する言葉。少し離れた北側を木津川が流れている。戸津地区は以前はこの木津川の近くにあり、洪水、氾濫などで戸津地区がこちらの方へ移転したのではないかと思われている。
 戸津の「戸」は出入り口のことであり、そういった点からは、木津川に作られた港の入り口といったような意味ではないかと、郷土史家たちの意見が紹介されていた。
 なるほど、説得力のあるような意見だなと感心させられた。祭神の応神天皇といい戸津と言う地名と言い、何れも相応の深い歴史を持っているんだなと、改めて思わされた。そういった意味では、神社もの由来というのは非常に面白いものだと思う。
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