西蔵寺
西蔵寺はJR京都線 西大路駅から真南へ 約1.5kmほどのところにある。実際には道があちこちで曲がっているので距離的には 2kmくらいになる。近くに吉祥院天満宮がある。
かなり古い歴史を持っており、開基されたのは平安時代の後半となる。寛和2年 986年、常蓮和尚澤了による。その頃に恵心僧都が自らの像を本尊として彫り、吉祥院天女堂において与えたと言われている。ちなみに恵心僧都が「往生要集」を著したのはこの前年となる。その後、澤了は信者と共に寺を建てて西蔵寺を創建した。その後約300年経って、西山浄土宗に改め末寺となる。江戸時代初期のことだ。
観光寺院ではないものの誰でもが自由にお参りできるように、いつも開門されている。敷地は全体的に狭い方となる。本堂は比較的立派なもので、その前の境内はやや狭い。その中に豊かな緑が見られ綺麗に整理されている。比較的多くのお寺で言えることだが、境内に見事な松の木があって様々な複雑な形をしている。こちらも枝が伸びて支えの木が見られた。
吉祥院天満宮の西から南の辺り一帯は、比較的多くのお寺があって効率よく回ることができる。中には地図にも載っていないようなお寺もあって、歩いて探すのも楽しみとなる。
西教寺
西教寺は西蔵寺からさらに南へ 100m あまり。浄土真宗本願寺派のお寺だ。
山門は完全に閉められており、内部は全く見えない状態だ。従って壁づたいに外から見える範囲で撮影するのみ だった。寺の由緒については全く分からない。外から見えるのは本堂の上部のみ。少し横に回ると境内には銅像の上部が見える。おそらく親鸞聖人のものだと思われる。そして境内の角には、比較的大きな鐘楼があり、梵鐘もよく見えた。
西蔵寺はJR京都線 西大路駅から真南へ 約1.5kmほどのところにある。実際には道があちこちで曲がっているので距離的には 2kmくらいになる。近くに吉祥院天満宮がある。
かなり古い歴史を持っており、開基されたのは平安時代の後半となる。寛和2年 986年、常蓮和尚澤了による。その頃に恵心僧都が自らの像を本尊として彫り、吉祥院天女堂において与えたと言われている。ちなみに恵心僧都が「往生要集」を著したのはこの前年となる。その後、澤了は信者と共に寺を建てて西蔵寺を創建した。その後約300年経って、西山浄土宗に改め末寺となる。江戸時代初期のことだ。
観光寺院ではないものの誰でもが自由にお参りできるように、いつも開門されている。敷地は全体的に狭い方となる。本堂は比較的立派なもので、その前の境内はやや狭い。その中に豊かな緑が見られ綺麗に整理されている。比較的多くのお寺で言えることだが、境内に見事な松の木があって様々な複雑な形をしている。こちらも枝が伸びて支えの木が見られた。
吉祥院天満宮の西から南の辺り一帯は、比較的多くのお寺があって効率よく回ることができる。中には地図にも載っていないようなお寺もあって、歩いて探すのも楽しみとなる。
西教寺
西教寺は西蔵寺からさらに南へ 100m あまり。浄土真宗本願寺派のお寺だ。
山門は完全に閉められており、内部は全く見えない状態だ。従って壁づたいに外から見える範囲で撮影するのみ だった。寺の由緒については全く分からない。外から見えるのは本堂の上部のみ。少し横に回ると境内には銅像の上部が見える。おそらく親鸞聖人のものだと思われる。そして境内の角には、比較的大きな鐘楼があり、梵鐘もよく見えた。
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