気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・308. : 耳を傾ける ・・・ しなやかさ

2011-01-29 05:12:03 | Weblog
母は 自分の時間を無にして家族のために生きてくれる。


よほどのことがない限り

  「いまは忙しいから ダメ」 とはいわない。


子どもが外出先から帰って

  いきなり腹がへったと訴えれば ・・・

中途半端な時間でも 編み物の手を休めて

  スパゲッティをゆでたり 炒飯(チャーハン)をつくってやる。


母親は いつでも手をあけて

  子どもらのいい分を聞こうという独特のゆとりをもっています。



もちろん 言葉のあやで

「そんなことは後にして」 と拒むこともある。


父親が一言でもそういえば 子どもはすぐ引込む。


母親の場合は 拒否されても ・・・

  子どもは平気でしゃべったり 要求しつづける。



「そんなつまらない話 夜でもいいでしょう 聞きませんよ」

  と ときには冷たく突きはなすこともあるが ・・・

それでも 子どもが話しはじめると

「それで」 とか 「ふーん」 とかいいながら聞いている。


母心のしなやかさ ・・・ といえるでしょうね。




* 本日午後 ・・・ 今年はじめての講師を務めてきました。
  某大企業の管理者研修の講師です。
  今年になってからだけでも あと7件の依頼がありましたから
  講演・講座は 本業外とはいえ ・・・ 忙しくなりそうです。



* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・307. : 黙って叱る ・・・ 寡黙

2011-01-29 05:11:16 | Weblog
さいきん おしゃべりで 癇高い 怒りっぽい母が

  ・・・ 激増しています。


だから

子どもは 高校生ぐらいになると

  母を嫌い うとましく思うようになってくるのです。



性教育にしても あまりにも饒舌すぎます。

なめらかに きちんとした性教育を施している母は

  ・・・ 寡黙なものです。


婦人雑誌に目をさらして

  性教育のハウツウを学びとろうと必死になる母

  性教育の在り方を論ずる母親

そうした母は ・・・

黙って叱り教える母心の尊さに気づかない

  粗々(あらあら)しい女性だ といえるかも知れません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・306. : 黙って叱る ・・・ 母の眼 

2011-01-28 05:24:08 | Weblog
子どもが相手ですから 叱ることは必要です。


しかし 「拒絶」が母心でないように
 
「介入」や傷(いた)めつける行為も 母心とは程遠いものです。


母の眼は いつも静止的に子をみつめ

  恐怖心を与えない 優しい

  ・・・ やわらかさをもって注がれていくべきでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・305. : 黙って叱る ・・・ ヒステリックな母 

2011-01-27 15:00:04 | Weblog
饒舌で わめきたてる母親もいます。

キンキン声をはりあげて ヒステリックに叫ぶ母もいる。

自分の苛立ちと怒りを自制できないお母さんもいます。


そうした母は

  どんなとき 子どもが母の心にうたれるのか

  ・・・ 分かっていないのです。



母は 自分の感情を満足させるよりも

  子どもの心にうえつける教育を第一とする人であるべきです。


心理学者の宮城音弥氏は

「 ヒステリックに行動する女性は 母性が十分に発達していない 」

  ・・・ とのべています。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・304. : 黙って叱る ・・・ 沈黙の涙 

2011-01-27 11:00:11 | Weblog
母とて人間です。

激情に駆られ

  わが子を殺してやりたいくらいの憎しみを抱くこともあるでしょう。


しかし

母は 子どもに激情をふりむけたあとの恐さをよく知っている。

陰鬱な激情の発作が過ぎ去れば

  あとで襲ってくるものは ・・・ 暗い無残な思いだけです。


父の激怒のあとの爽快さは 母には残りません。

性根のやさしい母には

  沈鬱な自己呵責の苦しみだけが 澱(よど)み残ってゆくのです。


子どもは 母の怒りに対し

唇を噛みしめ 侮辱をふくんだ眼で見返してくるにちがいありません。


事実 子どもの母への憎悪は

  たいてい この激情の発作によって起こっています。

子どもを殺してしまうのも この激情です。


激情は ときに慟哭(どうこく)となって表現されます。

大声をあげて泣く母です。

こうした場合 子どもは困惑と蔑(さげす)みをいだきます。



母はつらいけれども

激情をおさえ 辛抱強く内心の怒りの焔(ほのお)を静め

心の奥に冷たい風をふきつけて ・・・ 耐えねばならないのです。


そこに 沈黙の涙が吹き出てくるのです。


子どもは それに負かされてしまうのです。





* 2010.11  東ブータンで






母 ・・・303. : 黙って叱る ・・・ 沈黙の力を知る人 

2011-01-27 09:00:06 | Weblog
母に黙って叱られると

  もう金輪際腕白すまい という沈んだ反省的な気持になる。


人間は 涙に負ける。 弱さに負ける。

いったい母をこんなにもつらい想いをさせて

  それでいいのだろうか と痛々しい気持になってくるのです。



母は 叱りもしない。 声もはげまさない。 沈黙と涙。

そこには 父以上の力がある。

  ・・・ 弱さゆえの力 とでもいうのでしょうか。



私の友人たちには
 
  こうした母の思い出をもった人が少なからずいます。

なかには その話になると涙ぐむ五十代 六十代の大人もいます。



では どうして沈黙の涙に 子どもは挫(くじ)けるのでしょうか。


母の心の痛みが 刺すようにわが手に伝わってくるからです。

母の苦悩に耐えられないからです。

子供のほうが 母の身になって同情してしまうからです。


母心の光が 鋭く子どもの胸に差しこんでくるのでしょう。

どんな抵抗も 反抗も くじいてしまう母心が

  ・・・ 子どもの魂をうずかせてくるからです。



母は 本能的に沈黙の力を知る人です。


饒舌の空しさと

  こわばりをもったとがめたての無意味さを心得た人です。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・302. : 黙って叱る ・・・ 父と母の叱り方 

2011-01-27 06:06:29 | Weblog
母親に叱られたことのない子どもは まずいないでしょう。

子どもには叱られる権利がある とさえいわれるくらいです。


しかし

母親に叱られたという記憶は あまり鮮明に残っていないものです。

毎日くり返し叱言をいわれていたせいか

とりたてて「叱られた」という気分にならなかったのかもしれません。

だが ・・・ 本当はちがいます。



母の叱り方は ・・・ 「黙って叱る」です。

それだから ・・・ 心の傷痕となって残っていないのです。


父親は ・・・ 声を荒げて叱りつけます。

ときには 身をふるわせて激怒します。

怒りによって子どもに悪行への反省を懲(し)るすために

  鞭までもふるいます。


母は ・・・ 決して手をあげたり 殴りつけたり

  大声をあげて叱るようなことはありません。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・301. : 融和性 ・・・ 家庭は最後の砦(トリデ) 

2011-01-27 05:06:04 | Weblog
私たちは なかなか現実的に自由な開放感を味わえない

  ユーウツな毎日をすごしています。

父も 母も 子も ・・・ そうです。


そのつらい、異常な世に ・・・

母は 家庭という解放された魂の場をつくりあげ

  家族の心の拘束を解き放ってやる。

子どもは 母のそうした力から正常な未来を築くものが何か

  分かってゆくのです。



いま 家庭は この異常社会のなかで

  唯一の人間らしさを守る抵抗体の砦(トリデ)です。


そこに母の融けこむ心があれば イライラや不安は消える。

まやかしの個性に苛立つ心も ・・・ 消え去ってゆくのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・300. : 融和性 ・・・ 「自分」という枠をはずしたとき 

2011-01-27 05:05:11 | Weblog
人間が外からの拘束(世の中のさまざまなしがらみ)を離れ

  「自分」という枠をはずしたとき

その人は 空気の精か花の精のようになり

地上の一切のもの ・・・
 
生活 金銭 地位など世俗のものや

自分の将来 自分自身の幸せの欲求

生きることの不安や危惧などは消えて

  ・・・ 爽やかな気分になるものです。


広い野原に寝そべって 澄んだ青空をじいっと眺めているとき

  そんな気持になるではありませんか。

自分が陽の光そのものなかに

  吸いこまれてしまったような感懐にとけこむのではのないですか。

  ・・・ 自然と一体化した歓喜の感情です。


そのとき自由感はあふれ

花の香りや蜜蜂を運ぶ風のように軽々と宙に舞う感動のあまり

  ・・・ 息苦しくさえなります。



母は そのように自在に虚空に躍り

父や子の心に融け入り

  雲となり木の間に漏れる陽の光となって

  ・・・ 分け入ってゆく人なのです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・299. : 融和性 ・・・ 母の融けこむ力 

2011-01-27 05:04:45 | Weblog
情緒障害児とは 相手に融けこみえない子どもです。


子どもがそうなるのは 母に融通の心が欠けているからです。



人間などというものは

  もともと小さな ささやかな物質のかたまりにすぎません。

宇宙全体からみれば 一点のチリのようなものです。

そのなかの「私」など とるにたらぬ芥(アクタ)にすぎません。


しかし

その心を内からみれば 想像をこえた広やかさをもっている。

・・・ 母心とは それなのです。



小さな弱い母が 何故逞しく子に映るか。


それは ・・・ 母心の融けこむ力をみているからです。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・298. : 融和性 ・・・ 母の無私性 

2011-01-26 09:00:15 | Weblog
女性のすばらしさは「全相応」の性質にある といいます。


小さな個性を捨てて

  多くの人びとのなかに融けこみ 喜ばせる力のことです。


小ざかしい わがままな個性をひきたてることなく

  融通無碍に多様に 自ら投じうる能力が

  ・・・ 女性の情緒であり 愛である といいます。

父と子の喜びを 我がことのように喜ぶ

  広大で 弾力性のある精神性のことです。



化学方程式流にいうなら ・・・ ひとり遊離しない元素です。

別の元素と組みあわせ 融けあい 結びついて生きる元素です。

自分にとらわれない融合力をもち

  しかも 立派に元素としての役割と独自性を生かす。

  ・・・ それが 女性のまことの「個」の尊さです。



「自分ひとり」というような

けちくさい個性を破り捨てて 他の人びとへと投入しうる無私性

個と全体の境目をなくして悔いない人

  ・・・ それが女性であり 母です。



いまの社会は すべての人が自分を主張し

  自分の欲望の充足に熱中して 他人を省みません。

連帯感よりもバラバラの自我心を第一としている。

そこに社会的ストレスが生まれる。


その世の中に 母はあわせる必要はない。

  ・・・ 逆に 母の無私を実践してみせるのです。





* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・297. : 融和性 ・・・ 意固地でない心境   

2011-01-26 06:03:57 | Weblog
たしかに 個の自覚は大切です。

自律性も個の自覚から育ちます。


だが 個とは 相手があってはじめて成り立つものでしょう。

自分をぶつける対象があってこそ「我」の存在が分かるのです。


絶海の孤島にひとりぼっちでいても 個は自覚されません。

「個」の尊さは 自分以外の人に 投げかけ映し出してみて

  ・・・ はっと分かるものなのです。



いいかえてみれば

自分を小さなセミの殻から抜け出させ

  父や子のふところへとびこませてみて

  ・・・ はじめて自分のいとしさや尊さが分かるのです。


それには 相手のなかに融けこみ 生きる喜びの心が必要です。


旧姓にしがみつこうという みじめでちっぽけな心を捨て去って

自然な心で夫と一体化しうる 意固地でない心境にならなくては

  ・・・ 真の自分は見出せないのです。

           (* 母 ・・・296.をお読みください)





* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・296. : 融和性 ・・・ 精神力さえあれば  

2011-01-26 05:04:07 | Weblog
ストレスやノイローゼはイライラから起こります。


イライラとは 不安感です。

「置き去りの不安感」です。


この不安は異常な社会に適応しようとして

  適応しきれない焦りと疲労がつくりだします。


ですから

いまの社会でわめきたてられている女や母の在り方を拒絶すれば

  ・・・ 不安は解消します。

そのための精神力さえあればよいのです。


家族や子に「融けこむ心」もそのひとつです。



人々はいま 「個」を大切にしろとさかんに訴えています。

自分を捨てるなといいます。


ある女性評論家は

  結婚しても自分の旧姓を守れ

  それが女の独立心を支える ・・・ と書いています。

  夫と対等に自己主張をせよ ・・・ と唱えます。

  子に負けるな 母よ がんばれ ・・・ とはげましています。


すべては 「個」という自分を中心とする発想です。

そこにまた ・・・ イライラも生まれてきます。





* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・295. : 融和性 ・・・ 母の姿勢を変える 

2011-01-26 05:03:04 | Weblog
つまるところ 「適応」や「逃避」は

  ・・・ 抵抗体とは無関係ということです。


抵抗体になるということは 今日の異常性に対し

何千年来人間が正しく生きるために培ってきた

  ・・・ 過去の伝統的な生活態度と精神性を頑固に守ることです。



そのために

  自然に実る食品を食し

  母乳を与え

  マスコミ情報に動かされず

  古い育児を学び

  金銭にとらわれず

  粗食し

  流行を追わず

ディスカバージャパンに引きずられないで生きることも

  ・・・ ひとつの方法でしょうね。



しかし もっと大切なことは

子どもの情緒障害を起こす外向き(現代的)母の姿勢を変え

  自然な そして「自分だけ」を守らない母となる

  ・・・ ことが一番肝心なことです。





* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・294. : 融和性 ・・・ ストレス社会から逃避?

2011-01-26 05:02:03 | Weblog
「逃避」は 夫や子を捨て 妻や子を捨てて ・・・

「自分だけ」の欲を満たすエゴイズム精神と

  家出 蒸発 アル中にも平然となれる衝動的な行動力や

  ・・・ 愛の放棄力がなくては難しい。


いいかえれば

子殺しや子捨て 愛人ともバイバイ という母にでもならなければ

  現代の「逃避行」はできないし

自殺するか 家出して草庵にでもたてこもるか

  アンデス山脈に居を構えでもしなければ

            ・・・ まず 不可能なことでしょうね。





* 2010.11  東ブータンで