明治末期から昭和の初期に女学生とはまた違ったスタイルのきもので
女給スタイルというのがあったのですね
先日辛口女史と歩いていたら
「あれって昔の女給の姿だわね」
みると大きな紫の大名柄銘仙を着ていて
髪の形もショートヘアーにちょっとウエーブをかけているのですね
「なるほど」
「あの手のきものフアッションが流行っているのかしら」
「最近よく見るわね」
「そうかと思うとどぶ鼠のようなスタイルね」
これ以上のことは書けないけど昔を少し知っている身にとっては
また昔の小説を読んでいる者にとっては
たかが外れた着物の着方を見るにつけ
「これも時代なのかな」
と思って沈黙
しかしやはりおかしい
作家の林芙美子は銀座の女給上りということで
だいぶいじめにあったらしい
しかし銀座の一流店ともなれば趣向を凝らしたきものを着る女給が多く
大柄で紫と黄色というような補色関係の色とりどりの銘仙が
おおくの女給に好まれたようです
帯はまだ地味だったので
舞妓の使うような帯どめも大流行だったのでしょう
その間普通の奥様は大島や結城紬などの働着ですから
しっとりと地味で女給との差がよく表れていたのですね
女給スタイルというのがあったのですね
先日辛口女史と歩いていたら
「あれって昔の女給の姿だわね」
みると大きな紫の大名柄銘仙を着ていて
髪の形もショートヘアーにちょっとウエーブをかけているのですね
「なるほど」
「あの手のきものフアッションが流行っているのかしら」
「最近よく見るわね」
「そうかと思うとどぶ鼠のようなスタイルね」
これ以上のことは書けないけど昔を少し知っている身にとっては
また昔の小説を読んでいる者にとっては
たかが外れた着物の着方を見るにつけ
「これも時代なのかな」
と思って沈黙
しかしやはりおかしい
作家の林芙美子は銀座の女給上りということで
だいぶいじめにあったらしい
しかし銀座の一流店ともなれば趣向を凝らしたきものを着る女給が多く
大柄で紫と黄色というような補色関係の色とりどりの銘仙が
おおくの女給に好まれたようです
帯はまだ地味だったので
舞妓の使うような帯どめも大流行だったのでしょう
その間普通の奥様は大島や結城紬などの働着ですから
しっとりと地味で女給との差がよく表れていたのですね