4/5の記事に書いた、ずっと街頭に立ち続けてこられた高槻市長候補のこと。
ここ最近は当然、22日の選挙に向けた演説をしたはるわけやねんけど、そのスタイルが今までとえ
らく変わった。
今までは地味な格好で、ひとりでマイクを片手にひたすら自分の理念を語る、という姿勢やったのが、
昨日の朝駅でみかけたら、黄色いカウボーイハットをかぶったおじさん何人もに囲まれて、本人は何
を話す訳でもなく、なにやら訳のわからんガッツポーズを繰り返している。キャッチフレーズも黄色い帽
子のナントカ、というよう分からんコピーやったように思う。
それを見て俺はなんか興ざめしてしまった。黄色い帽子に何かの意味があるんやろうけど、それがす
ぐには分からないし、それを確認するための作業を有権者に求めるようでは、その時点で政策を聞
いてもらう、という本来の趣旨に遠回りしている。だから何をやりたいのかがさっぱり分からないし、何
より今まで「まじめにコツコツ」積み上げてきた人、というイメージが、「(きっとあらゆることにおいて)セ
ンスの悪い人」というイメージに変わってしまった。
これはもちろん本人だけの責任じゃなくて選挙対策本部長の責任に負うところが大やけど、それを
良しとした、もしくは良しとしなくとも流された本人に何よりもの責任がある。
石原都知事が圧勝した影には佐々淳行さんを選挙対策本部長において、徹底した選挙戦略を
立て、それを実行したところにあるというても過言やない。「反省」を前面に押し出したその戦略の
中でも、佐々氏が作ったといわれる「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」というコピーは秀
逸で、俺はこのコピーに引かれて石原さんに投票した人が何万人という単位でいるような気さえし
ている。
それほどに選挙戦略というのは有権者の心を左右する最後の詰めなのに、この高槻市長候補は
それを失敗してしまった(と俺は思う)。ただ、逆の意味では選挙戦略に乗せられた投票など意味
がないわけで、だからといって、この人に投票しない、というわけでもないけど、先に書いたように、
センスが悪い、流されやすい、という理由で、この候補にグっと傾いていたシーソーが、中立位置近
くまで戻ってしまったことは確か。
司馬遼太郎さんが言っていた。「人生には「やる」か「待つ」のふたつしかない。待つことも大切な
決断なのだ」と。
最後の最後、この人は今までの自分を信じて、天命を待つべきだったような気がするなぁ。