僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

180°

2011-03-31 | Weblog
ここのところ大きな話題にはなっていないが、エイズに関わる話。

エイズは簡単にはうつらない病気で、握手程度でうつることはありえない。しかし、病気が命に関わるだけに、エイズの方と接触する人のほうは、握手だけでもうつるんじゃないか、と、どうしても心配してしまう、という実情がある。

が、実際にはこの逆である、ということが、池上彰さんの著書『これが「週間こどもニュース」だ』に書いてあった。

それは、
『ウィルスに感染している人は感染していない人に比べて病気への抵抗力が落ちているので、私たちには何でもない雑菌の類でも感染者には害になる。つまり、「うつるのではないか」より「うすさないかな」と心配しなければならない』
ということ。池上さんも目からウロコ、とおっしゃっているが、私もまさしく同感だった。

これは、事象は表裏両面から見なければいけない、という典型例だが、実生活での事象には、それどころかありとあらゆる側面があるわけで、ほぼ球面からの見方があるのだと思う。
でも、まず反対側を見てみる、ということができずして球面からの見方ができるはずもない。

ということで今、180°頭を捻ってみたら、とりあえず首がこっていることと、ロッカーの位置が思ったより近いことを発見できた。
ったく、こんなんだから、ひねくれてしまうのね、きっと。

自分への誓い

2011-03-30 | Weblog
突然ですが、今日は友達T君とのメールのやりとりをご紹介しようと思います。

T:
久しぶりです。
突然ですが、息子自慢ではありません。紹介してくれとのことでメールしました。携帯からは見れないのでパソコンで一度見てみて。ヨロシク。以下息子からのメールです。

http://www.○○○○△△△△
今回の災害を受けてこんなサイト作った。
募金を頼みたい。募金の時はアダ名で。ほんで、可能ならとにかく多くの人に広げて欲しい。
とくに会社の同僚とか友達とか、可能なら社会人になるだけ。よろしく。

私:
まいどです。メール確かに受け取りました。
ただ俺は義援金等は最も実績があり信用できる機関(日赤等)を通じてしかしないと決めているので息子さんの希望には応えられません。
もちろん息子さんを信用していないという訳ではないことは理解してもらえるものだと思っているし、「分かりました」と無難な返事をして何もしないなどというのは何よりも失礼だと思う故のお応えです。悪しからずご理解いただきお許しください。
息子さんの心意気には賛同します。頑張ってくださいとお伝えください。

T:
まいど。
このメールを送った人から初めてまともなご返事をいただきました。ノープロブレムだし逆に嬉しい限りです。
息子は進化してるな、が俺の感想です。こんなサイトが組めるなんて知らんかった。
暗いテレビ番組が続きますが、もう少し前向きにあと少し頑張っていこうと思います。
突然メールですんませんでした。またヨロシクありがとう。

友達だから分かってくれたのか、分かってくれるヤツだったから友達になったのか。
色んな意見があるだろう中で、「何事にも惑わされず自分を信じて生きている私を信じてくれる人」がいてくれるという事実がはっきりすることがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。

改めて、淡々と自分のやるべきことをやりぬくぞ、と、「自分に」誓います。

発言する勇気

2011-03-25 | Weblog
【「言葉にできない。ありがとう」石原都知事、感極まり言葉詰まらせる。放水活動の消防隊員に謝辞】

ごく当たり前のことだが、世の中には人の数だけの考え方が存在している。
その考え方を世に出すか出さないかは個人の判断によるところだが、私は、影響力の強い人であればあるほど、また、世間一般と違う考え方をしていればしているほど、世に出して欲しいと願っている。

個性がなく、人に影響を与えられないような人が世に出るはずがなく、私たちが影響されたから、その人は世に出ている。ということは、私たちは皆、どこかでそういう人たちに「影響を受けたい―もちろん従うということではなく―」と思っているはずだからだ。
その人たちの、「なるほど、そんな考え方もあったんだ」ということを知ってこそ、普遍・常識的な話の説得力が増すこともあれば、逆にそれが間違っていたということも知ることができるし、もちろん、正しい・間違っているなどというカテゴリーを外れて「新しい物の見方」として確立することもあるだろうし。

他の誰もが示さない、物の見方・考え方への評価は、非難と感嘆が表裏一体になって当然だ。
発言者はその責任を追い、受け手はそれによって考えさせられることで、双方がまた磨かれる、という成長効果があるのに、ほとんどの人は大衆に迎合し、「非難」されることを恐れ「無難」であることを選んでしまう。

冒頭の文は、石原都知事が福島原発の放水作業に従事したレスキュー隊員に述べた言葉である。
問題発言もするが、石原都知事が他の政治家の追随を許さない憂国の徒であるのは明らか。
発言する勇気と指導力に加え、日本を愛し、明晰な頭脳を持ち併せた氏のような方こそ、今の日本の救世主になりえるのではないか、と私は思う。

※問題になった発言を肯定するものではありません。
※特定の政党を支持するものではありません。

それでも桜は咲く

2011-03-24 | Weblog
たった今、会社の同僚のN氏から、「次男が公立高校に合格した」という報告を受けた。
N氏は今回の地震でふさぎ込みがちな日々を送っていたと聞いていただけに、さぞ嬉しかったことだろう。

条件は違えど、懸命に生きているのは皆同じ。
地震以来、控えられてきた言葉だが、N氏と次男、そしてご家族には遠慮なく使ってもいいはずだ。

おめでとう!よかったね!

もっくん

2011-03-24 | Weblog
「ママ、“思い”ってどこに置いてあるん?」
頻繁に放映されているテレビCMで覚えたのだろう、3歳の孫(呼び名はもっくん)が娘にこう尋ねたらしい。

質問そのものが答えだし、答えても分かるはずがないが、彼にはこう言いたい。
もっくんの前に「“思いやりより思いが見えることのほうがもっと大切なんだ”という思い」が置いてあったよ、と。

たんぽぽ

2011-03-18 | Weblog
少女は、

「おじちゃんの家、たんぽぽ咲いてないね、私が咲かせてあげる」と言って、
「ふうっ」とたんぽぽの胞子を吹いてくれた。
翌年、我が家の庭はたんぽぽでいっぱいになった。

30年以上前のこと。
家の改築で、たんぽぽはもうない。

少女は立派な大人になっているだろう。
でも、その心は、少女の姿のままずっと残っている。

淡々

2011-03-14 | Weblog
この世のものとは思えないことが起こった。
そんな状況の中でも、被災された方々の振る舞いはまさに淡々としていて、命があったことだけを喜びとし、再起を期されておられる。この強く秩序ある行動は海外メディアからも称賛されているらしいが、まさに称えれてしかるべき驚異的なまでの自律力である。

この行動を見ていて私はこう思った。
こういう時だからこそ、私たちは今まで通り日々為すべきことを為し、自らが生きることに全力を尽くすべきではないのか。いかなる時も、自分を守り家族を守り生活を守ることこそが日本経済発展の根幹を成している。つまり根本的にはそれこそが被災された方々への一番の復興支援になるのではないか、と。

全く情報元もはっきりせず根拠もないチェーンメール等に踊らされてしまう人はきっとこういう考え方ができない人だ。

私たちも極限に置かれている方々の精神を学び、淡々と生きようではないか。


※義援金や服等を送ることについては受取先が信用できれば賛成で、私も不要なコート類を送ろうと思っています。

魔が差すとき

2011-03-07 | Weblog
京大入試でのカンニングが社会問題になっている。でも、ここまで騒がれるのは、「現代の情報技術を最大限に利用し、個人の答案に公の意見を取り込んだ」からなんだろう。

これについては、騒ぎすぎだとか当然だとか、色々な意見があるが、私はこう感じた。

情報を運ぶデジタル技術には1か0しかない。繋がるか切れるか。繋がりそうで繋がらない、切れそうで切れない、という「揺れ」は存在しない。そのような技術が中心になっている時代に彼ら若者は生きている。

「魔が差す」ことは誰にでもある。でも、心が揺れていない人に魔は差さない。
デジタル時代の若者も、揺れる心を持つ人だったことに、私は少し安堵している。

※もちろん、カンニング行為を正当化しているわけではありません。