僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

お願い

2011-04-26 | Weblog
この写真のタイトルは、
「お願いやから死ぬまでに一度は行って」
先日、沖縄にいる長女からメールで送られてきたものだ。

信じられないほどの海の美しさも伝わってくるが、自分の利益に関係なく「お願い・・・」と言わせるほどの素晴らしい自然に囲まれ、好きな仕事に就いて充実した人生を生きている娘の幸せ感のほうがさらに強く伝わってきて、願いには、叶う叶わないの問題ではなく、「願いそのものが幸せ」というカタチがあることを教えられた。

先週まで街中で繰り返された「お願いします」。
死ぬまでに一度は、選挙でも幸せな気分でお願いされてみたいと思うのだが。

正義と不義

2011-04-22 | Weblog
間違いは誰にでもある。嘘をつくことだって誰にでもある。
プロ野球選手とて人。自身に嘘をつくことだってあるだろう。

某球団のY選手は、落球を誤魔化した自身のプレーに「テレビの映りが悪いんじゃないですか」と発言し、それに対するブーイングが予想以上だったと言っていた。

「テレビの映りうんぬん」という発言は、誤審に泣かされることもあれば笑うこともあり、誤魔化しがうまくいったり失敗したりすることもあり、それもインプレーでプロ野球の面白さだ、と言いたいわけだろうから、それはそれで一理あるし、ある意味ごもっともな話である。
ならば、それでつっぱればよかったものを、「ブーイングが予想以上だった」なんて弱気で面白くもない言葉を吐くから、前論が崩れて、およそプロ失格になり、結果、ますます自身の値打ちを下げてしまうことになってしまう。

フェアプレイは正義である。しかし正義は不義という影のおかげで一層輝く。
プロの技量には、それを知らしめる力も含まれていると思うのだが。

気になるお店

2011-04-21 | Weblog
これは真面目なコピーの話です。

通勤の帰り道の歓楽街で、こう書いてある看板が目に入ってきた。

キャバクラではありません。
セクキャバではありません。
ブラジャーありません。

うーん、面白すぎるではないか!!
何の店か分からないのがちょい問題だとは思うが、どうせ分かったところで怪しい店には違いないのだから、逆に分からないほうがいいという考え方もあるし。

いいコピーには「驚かせる」「泣かせる」「笑わせる」という要素―つまり人の心を動かすこと―が必要と言われ、その中でも「笑わせる」は最も難しいとされる。このコピーはそれをものの見事にクリアし、加えて、こういうことにかけては、まったくもって子供であるオトコ達の好奇心も見事にくすぐっているわけで、実に秀逸だと思う。

それにしても、やはり何の店か分からない、という問題はとても気になるところだ。
髪に誓って、個人的には何の興味もないのだが、制作会社の社員としての立場から、この素晴らしいコピーに残されたわずかな疑問を解決する必要を感じているのである。

となれば、取材である。その場合は、若手に取材経験を積ませるのもいいが、彼らではケイケン不足から舞い上がって取材にならない可能性もある。また、プレッシャーとおっぱいに押しつぶされる可能性もある。後輩をそんな危険な目には遭わせられない。
やはりここは、こういうお店がきっと大キライだが、仕事となればそんなことをおくびにも出さず、まるでホントにウハウハとしてるかのように振る舞いながらも、しっかりと仕事内容とお姉さんの電話番号を取材してくる私しかいないだろう。
ったく、ホントに嫌だけど、仕事となれば仕方なかろうて。

ということで、取材には以下の心構えで望むつもりであるので是非許可をいただきたく。

好奇心ではありません。
出来心ではありません。
節操ありません。

“願ってない”叶ったり

2011-04-20 | Weblog
先日、わが社のお目付け役M氏から、「南極で氷を売るにはどうするかを考える」という類の、「認識ではなく、意識することで人生は変わる」というお話があった。
もちろん、おっしゃっていることはとてもよく分かるし全く共感するのだが、私は人に「変わってるね」と言われるのが何よりもの喜びである人間であるがゆえ、どうも、元々目の付けどころが人と違っていて(いい悪いの問題ではなく)、特に意識するということなく、それを行っているようなのである。例えば以下のようなことだ。

オーストラリアに留学中の友達の子供さん(男性・20歳)が強盗に襲われた。
電車の中でいきなり殴られ、金品を盗られたらしい。殴られて倒れてしまった際に頭を打って病院には行ったらしいが、幸い怪我は大したことはなく大事には至らなかったようである。

でも、外国にひとりで行くというのは、多かれ少なかれ命の危険と隣合わせだ。親は子供の「幸せより成長」を願い送り出し、本人も危険を覚悟の上で旅立たなければいけない。とすると、今回、「強盗にあったが大した怪我もなく金品が奪われただけ」というのは、海外に駐在する最大の目的であるはずの、「外国の文化を肌身で知り成長する」ということにおいては、これ以上ない経験だった訳で、とんでもなく「ツイていた」ことにはならないか。
「願ったり叶ったり」は思った通りになることだから、嬉しいことだけど、結果が見えていて、心の振幅が少なく少し面白みがないが、この件は、「願う」という労力をかけずして、成長という目的を叶えさせてもらえた訳で、「“願ってない”叶ったり」ということになり、これはもう贅沢極まりない天の贈り物なのだから。

てな具合にまず、最初にこの話を聞いた瞬間こんなふうに思ったのだから、やっぱり私はフツーではないのだろう。
おまけに、「願ってない叶ったり」が叶った時は「願ったり叶ったり」と言っていいのかどうか、なんてややこしいことまで考えてるんだからやっぱり変わっているな、と自分でもあきれてしまう。

ところで、南極で氷を売るには、「氷の暖かさ」がポイントかな、と。
例えば、さまざまな花の型枠を用意して、夜、それに溶かした氷で作った着色水を入れておく。
朝起きたら、 氷の花が咲いていた、というような。

さてこの案、ちょっと素敵やん、と思ってくださる方がいたら、「いいね」じゃなく、是非「変わってるね」と言ってくださいますよう。

髪の代わりに残ったもの

2011-04-14 | Weblog
20年ほど前の話になる。

子供が通う幼稚園で「園歌」を公募するという話があり、私も作詞・作曲をして応募したことがあった。
結果、残念ながら園歌には漏れはしたが、「父兄の歌」として採用してくれる、ということになり、その時は「へえそうなんや」みたいな気持ちで終わったのだが、先日、孫が同じ幼稚園に入園した際、娘がもらってきた資料の中に、なんとその時私が作った歌が作詞・作曲者名入りで載っていると聞き、今度はえらく驚いてしまった。

資料を確認したら、間違いない。なんとありがたいことに20年以上経った今もそれは歌い継がれているようである。
こうなればもう童謡や唱歌並のロングランだ。もはや歴史である。私は中田喜直氏や滝廉太郎氏と肩を並べたのだ!
などというのは全くおこがましく、冗談だが、自分の名と作品をずっと残してくださったということについては、ホントにありがたくただただ光栄である。

せっかくのことなので、20年ぶりにその唄を口ずさんでみたが、詩の中に、愛だのなんだのなんかこっ恥ずかしい言葉が入っていて自分ではどうも歌えない。その時は恥ずかしくなかったんだから、やはりその時感じたことはその時に必ず表現しておくべきだなぁ、と改めて思うことにもなった。

ということで、今度幼稚園に、父兄の方々がその歌を歌ってくださっている所を聞かせて欲しいとお願いにあがろうと思っている。

「え!?あなたがあの歌の作者・・・」という言葉を最後に、翌年以降、資料から消えてしまうかも知れないが。

ブカブカ

2011-04-11 | Weblog
今日、孫が入園式を迎えた。

何もかもがブカブカ。
袖も背丈も余った制服。脱げそうな靴。
顔が隠れそうな帽子に、背中が見えないほどの大きなバッグ。

全て卒園する頃にはちょうどいい大きさになるらしいが、「ちょうどいい」がずっと先にあるなんて、なんと素敵なことなんだろう。

願わくば、彼の人生がずっとブカブカでありますように。

女性用もございます。

2011-04-08 | Weblog
タイトルは、出張の帰り、新幹線の時間調整のため、立ち寄ったかばん屋さんで女性店員の方にかけられた言葉だ。
初めは、「お気に召したカバンはございましたか?」とごくありきたりのものだったが、私が正直に、「新幹線の時間調整のために立ち寄ったので、見させてもらってるだけです」と返事をしたらこのように言われたのである。

「結構ですよ、ごゆっくりご覧ください」とか「分かりました」とかは何度も聞いたことはあったが、プレゼント用とも言ってないのに「女性用もある」と言われたのは初めて。
ようするにこの店員さんは、「本人用には時間も必要もなくても、嫁や家族へのプレゼントとしてなら、この人の考えが少しは変わるかも知れない」と思ったんだと思う。
事実、それから女性用のカバンをはじめとする小物に目が行ったし、もう少し時間があったら何か買っていたかも知れないわけで、私はこの店員さんの目のつけどころの素晴らしさにやたら感動してしまったわけなのだ。

ということで、私も早速私もこの方に習い、この話の目のつけ所を探してみた。

「さすがはカバンやさん、言葉のポケットも豊富です」

こんなところでおあとはよろしく。

240歳のマージャン

2011-04-04 | Weblog
友人のお母さんたちの話。
友人の家で、80歳になるお母さんとその友達がマージャンをしていた。

A:「今回の震災に遭われた人は大変やったなぁ、あ、それチー!」
B:「うん、でも私ら戦時中はもっと何もなかったもんなぁ、それポン!」
C:「私らそれでも立ち直ったんやし、あの人らかてきっと乗り越えはるて。人間そない弱ないもん、ロン!」

被災された方々を心配し、辛い思いもされてるに違いないのに、お母さん達は皆、まるで何事もなかったかのようにマージャンをしながら、こう会話をしていたという。

日本を支え守ってきてくれた先人たちの苦労や覚悟は私の想像をはるかに超えていた。
しかも、こういうことがあるまで、そのあまりにものすごい人生の歩みを、おくびにも出さず生きてこられたことを考え併せると、もうただただ驚愕するしかない。

尊敬することすら苦しい。
「畏怖」という言葉の意味を初めて知った。

違う違う

2011-04-01 | Weblog
「違う違う、京都向きは反対のホームよ」
「いってらっしゃい」

今朝、電車の改札口で母親が子供にかけていた言葉だ。
まぁこれ、小学生程度の子供を見送る親の言葉ならごく普通だろう。
が、まるで普通じゃなかったのは、なんとこの子供が新社会人だったことである。

真新しいスーツとカバン、靴まではいいが、おつむまで真新しい新社会人がいるとなると、この人が入社する会社の教育係の方のご苦労は想像に難くない。

ということでこのお母さんに一言申し上げたい。

「違う違う、あなたの(教育の)向きが反対よ」