昨日の夜はひさしぶりにおふくろも一緒にかにを食べにいった。
俺は、食べ物でキライなものはないに等しいんやけど、実はそのほとんどない
苦手な部類に入る食べ物がこのかにで。
なぜかというとまず味はとてもおいしいと思うねんけど、とにかく「めんどくさい」
から。あの甲羅から身をはがす作業をしている間に何度もう何回食べるのを
やめようと思ったことか。おまけに食べるのにものすごい時間がかかる。昨日は
結局3時間を要してしまい、一人で飯を食べるときはほとんど3分以内に食
べる俺としては、もう耐えがたく無駄な時間が多いし。
まぁ、高級食材に対しては贅沢な文句やとは思うねんけど、とにかくそんな
不平の念を抱きながら食べていると、すぐ横に座っていたおふくろが、「ああ、
めんどくさい、おいしいけどもうこんなんいらん。」などと言い出した。
それを聞いて、「へぇ、やっぱり血は争えんなぁ」などと笑ってたら、今度は
長女が、「ああ、めんどくさ」と言い出し、身のとれにくい部分はそのまま残し
てガラ入れに捨てている。それを見て、「うーん、DNA恐るべし」とつくづく思
ったんやけど、そこで「もったいない」という気持ちが全くないことに気がついた。
俺は子供の頃から両親にごはんは一粒残らず食べなさい、という教育を
受けてきたし、子供にもそう教えてきたから、俺も子供も普段食事を残すと
いうことはまずないし、残したりするともったいない、という気になるんやけど、
なんでこのかにはそういう気持ちにならんのか?
少し考えて分かった。この場合の、かにを残すという行為は、面白くない映
画を見に行ってしまった時のことに例えるとよく分かる。
ようするに、面白くない映画でもお金を払ったんやから最後まで見ないともっ
たいない、と思うか、お金を払ったからといって、時間のほうがもっともったいな
いからすぐに出ようと思うか。
俺達親子の血は後者なのよね。良い悪いは別として、いくらうまくて高い食
材やからといっても、もったいないということより、めんどくさい、という時間のロ
スのほうがもっともったいない、と考える血。
で、おふくろの血が流れていない嫁はどうか。そんな俺達が残したカニをうち
の嫁は、実にきれいにほおばり、丁寧に身をほぐして雑炊の鍋に入れてくれ
ていた。家族というのはほんとになんとうまくできていることかと思うねぇ。
捨てるカニあれば、拾うカニあり、なんてオチで、おあとがよろしいようで。