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イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

葬式仏教 その2

2013年07月15日 | 日々之法話
やがて 仏教は 日本に伝わり、
飛躍的な発展(大いなる展開)を遂げます。



教理の研究研鑽を得意とした中国仏教に比べて、
日本仏教は 
本覚思想(ほんがくしそう)等、 
世界思想史上 特筆される高度に 哲理を生み出すと共に、

その実践の試みも 盛んに行なわれ、

結果として、
学問、文学、美術、芸能 等、
中世以降の洗練された日本文化のほとんどを作り上げました。



追善供養も、七回忌以降の年回忌の増加や、
十三仏信仰の成立と流行等、

仏教以前の土着信仰と習合しつつ
独自の発展を遂げます。





まず、祭礼や追善供養を 一般民衆の側から見ると、

① 日本人は、仏教以前に 
   死者・死霊に対して
   恐れと尊敬・愛情の混在した葬法を
   稚拙ながらも 持っていた。

② 前者のうち 死霊の祟りを恐怖し 
   穢れとする感情が強かった。

③ 死霊を厭わず、死体や亡霊の処理を
   具体的、理論的、完璧に受け持てる宗教は  
   新来の仏教以外になかった。

④ このことから、
   死後は 仏教によって救われる、
   または 祟りをもたらす荒ぶる魂(荒魂:あらみたま)が
   仏教によって 生者に繁栄を与えてくれる守り神(和魂:
   にぎみたま)に浄化されるという観念が生まれ、

   僧侶が説く地獄や極楽、十王思想から発展した十三仏信仰等を
   自然に受け入れる心情的素地が整った。

⑤ 日本の中世には 戦乱が多く、
   死体や死霊の処理は 切実であった。

等の理由で、
仏教の追善供養は 比較的容易に 受け入れられたのです。






一方、為政者・権力者の側から見ると、

卑弥呼等に見られるように、
古代の民衆統治は 
自然神に対する畏怖を利用したものでしたが、

本来 故人の心を問題にして、
むしろ 自然神の祟りを制御し 
コントロールする立場にあった仏教を容認するに当たっても、

これと同様の認識・形態を 
人々に持たせ、利用し、使ったのです。



例えば、仏教を前面に打ち出した聖徳太子の政治理念や
民衆掌握・統治を目的とした 江戸時代の寺請制度がそれです。

ただし、明治政府の神仏分離による仏教弾圧は、
理論的整備と 社会認知が 確固たるものであった仏教の追善儀礼を
否定し、抹殺することはできず、

むしろ 蕃神(ばんしん)仏教に対して 
国家意識の高揚を標榜した国家神道を
主に経済的側面において 窮地に追い込む結果となりました。

(蕃神、蛮神 = 外国人の信じている神。
            また、外国から渡来した神。)



                     つづきます