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徒然なるままに その9

尋ねて、知って 大事にする「古いもの」とは、
これまで生きてきた過去の自分(過去は古いでしょ)、
今現在ある、ありのままの 変えようのない自分、

つまり、いいところも 悪いところも 全部ひっくるめた 
ありのまま、あるがままの自分を

「温める」 → 大事にする、つまり、認める
別の言い方をすれば、今の自分を 全部 OKって言って受け入れる

そうすると、自分のいいところと 悪いところが見えてきて、
自分の中の理想的自分と、今現在の自分が、
ピピピ!っとつながる。

そうなればしめたもので、
理想の自分から 今の自分を 客観的に観られるようになる、

そうすると、今の自分よりもっと 自分を
楽しくするには、
嬉しくするには、
幸せにするには、 
どうしたらいいか、未来予想図を描く事ができるようになる。

そうすると 自分に余裕ができる。

今をくつろげるようになる。



「こんな自分は嫌だなぁ」 とか、「こんな自分は嫌いだ」と思っていた、
自分嫌いの膨大なウダウダのグズグズの、
つまりマイナスのエネルギーを、

「こうしたらいいんじゃないか」、
「こうなったらステキになるんじゃないか」っていう、
好奇心、プラスのエネルギーに変換できるようになる。

新しい自分を知る事ができるって事です。

日本人には、先祖から こういったDNAを引き継いできた
歴史があるんだと思うんです。



神社神道の2000年以上続いているお祭のパフォーマンスなんかが証拠です。

だから、仏教の「スゴイ」が 日本ではいまだに継承されている。






伝教大師が、戒律の問題で、

小乗戒と大乗戒を兼用していた 中国天台宗伝統の戒律を捨てて
(小乗棄捨って言うんですけどね)、

純大乗戒だけの受戒を主張した時、日本を

圓機淳熟の国」って言ったのは、
日本人に 今言ったエネルギーを 感じていたからなんじゃないかと、
私は 思います。

圓機淳熟っていうのは、
 日本人は賢いんだぜぃ、
 最高の教えを教わりたくってしょうがねえんだぜぃ、
 という事です。)



これがホントの意味の「温故知新」。

この格言は 外にあるんじゃなくて、自分の中にあるって事です

温故知新を自分の事として伝えてきた

そんなDNAが 日本人にはある って事です。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その8

なにしろ、2500年も続いてる仏教です。

それだけで すごい事ですよ。






私の得意技で、また話が飛びますが、
100年間つぶれないで続いてる会社って、
全体の何%だか 予想付きますか>

答は、0.03%です。

今、この川越に 1万の会社があったとして、
100年後には その1万の会社のうち、
3社しか残ってないって事です。

ちなみに、羊羹の虎屋は500年続いてるようですよ。

これもすごいけど、虎屋と比べちゃいけないですけど、
仏教は2500年続いてるってんだから、
それだけで「スゴーイ」ですよ。

しかもですよ、インドや中国や韓国なんかで 無くなっちゃってる仏教が、
日本で続いてる。

東南アジアやチベットなんかにも 日本とは違う仏教、
「上座部仏教」、「チベット密教」って言って、
いじわるな学者さんは、
上座部仏教は「大乗」じゃないから、世界三大宗教の内に入んないんだ
なんて言ってる人もいて、
まぁ、言わしときゃいいんですけどね。



何で、日本か?

何で、日本に渡ってきた仏教が、ズーっと続いてきて、
2500年も経っちゃってるのか?







古くて新しいもののみが栄える」っていう言い方が 日本にはあって、
この言葉を 日本人は 昔から 大事にしてきたんです。

ご存知だったでしょうか?

温故知新」という事です。



古くから伝わってきている色々な事をたずねて、
知って、
大事にして、
新しい事を知るって事ですね。

ここまでは、中国式の解釈

これを自分に当てはめて考えてみたらどうなるか?

ここ、大事です。

日本人のDNAの話です。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その7

私が 布教師会さんの「法のともしび」に最初に投稿させていただいた時、
仏教は 布教によって広がったんじゃない
なんて生意気を書いて、

依頼してくれた、亡くなられた小川の長福寺の岩本先生が
目を白黒させて怒って、

それを見ていた、
やはりお亡くなりになりましたが、
川越の妙善寺の中島先生と 深谷の永島さんから、
「おまえなぁ」って大笑いしながら 呆れられてしまいました。



私がそこで言いたかったのは、
仏教は、おしきせの布教で世界中に広がってったんじゃない
って事です。

キリスト教や他の宗教、聖書やコーランみたいに、
神さまの啓示、言葉で、
 自分の生き方を一方的に与えられて、
 それに満足して、ただ言う事を聞いて、
 よかったよかった、大団円

じゃなくて、

もっと心の奥深ーくに沁み込んで、
その人そのものの中で、
ゆったり、まったり
「ホー!」ってファルセットのため息が出るような感じ

そういうもんだという事なんですよね。





ともあれ、
「仏教ってスゴイ」とその魅力を 
布教師さんが自分自身で知る(当たり前の事ですけど)、

布教師さん自身が 仏教の魅力を知って、
いつもそれを感じているのが 
布教する時の大前提ですよ。

「仏教ってスゴイ」を伝えるのが布教であり、
布教師さんだと思うんです。




仏教は難しくて、厳しくて、まぁ ひたすら禁欲的で、
だから、つまんなくて・・・
なんて思ってたら、
布教なんて できっこないですから。



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