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明日が楽しみになるような毎日を過ごしていきましょう!

明日が楽しみになるような毎日を過ごしていきましょう!

令和2年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様の一年のご安寧を 心よりお祈り申し上げます。
                                山主合掌










え?
これだけ?
新年なのに?
一年以上間が空いた、久しぶりの更新なのに?
と思って下さった皆様。
その通りなのです。

今年は拙著『おめでとうございます』に
たくさん書いてありますので。
悪しからず。



今日は、ここまで! なのです。


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まっすぐな思い  まっすぐに歩む  今日はいい日だ!

まっすぐな思い  まっすぐに歩む  今日はいい日だ!


平成31年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様のご清祥を 心よりお祈り申し上げます






朝起きると

「今日は 何をしなきゃいけないんだっけ。

 それをやって、これをやって、

 そうだ あれもやらなきゃいけないんだ」

なんて考えてる。


夜 布団に入ると

「明日は 何をしなきゃいけないんだっけ。

 それをやって、これをやって、

 そうだ あれもやらなきゃいけないんだ」

なんて考えてしまう。


忙しい忙しいと 日々が過ぎていきます。

疲れるなぁ。

毎日ストレスの連続だぁ~・・・


私の日常です。





でも 時々考えてしまいます。

それと、これと、あれって、
朝一番に考えなきゃいけないことなのかなぁ。

一日頑張って お疲れ様のベッドで 考えなきゃいけないことなのかなぁ。

だったら 自分の人生って なんなんだろう?

むなしくなるなぁ。





そんな時 出会った コピーライター糸井重里さんの言葉

自分にとって、本当に大事なことってなんだろう?

 自分にとって、本当に大切な人って 誰だろう?

 このふたつを本気で思っているだけで、いい人生が送れるような気がする
!」
 (知慧の実のことば)。


朝晩に考える事を変えてみると、
心が豊かになって 安らげそうな気がしてきました。





同じくコピーライターの ひすいこたろうさんの
『3秒でハッピーになる超名言100』に載っていたお話です。

とある家の中学生の娘さんは、
出かける時に 家族に「行ってきます」とは 言わないそうです。

素直なかわいい普通のお嬢さんですが、
絶対に「行ってきます」とは言わないそうです。

なぜ?

・・・もし その日に、
自分や家族に なにか不慮の不幸な出来事があった時に、
最後の言葉が「行ってきます」じゃ 絶対に嫌だからだそうです。

じゃあ、娘さんは 家族に何て言って出かけるのでしょう?

大好き!」

大切に思っている人に 一番言いたい 本当の 真実の 最高の言葉です。

「大好き」に
理屈なし! 条件なし! 老若男女なし! 全肯定! ストレート! 全部了解!

そのままの あなたが好き!




「大好き」って、言われても、言っても
うれしい、すごく幸せな気持ちになれます。

本当に大切な人に「大好き」って言うと、
目頭が熱くなることがある。

それは、その言葉が 素直で正直な感情だからです。

子供さんや お孫さんから そう言ってもらったら、
旦那さんや 奥さんや、恋人や 親友から そう言ってもらったら、
想像するだけでも あったかい気持ちになれます。

ひすいさんは「大好き」という言葉を
「名言中の名言! 奇跡の言葉!」
だと言っています。

本当の気持ちを伝える、
本当の気持ちに寄り添って生きて行く。

素敵ですね。

まっすぐな思い まっすぐに歩む 今日はいい日だ! 





檀信徒の皆さんが、あたたかい心持ちで 一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。
                               山主合掌
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大切な「誰かのため」が 頑張れる「自分のため」になっている!

平成30年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様の御清栄を心よりお祈り申し上げます






日本人のおもてなしが、世界中で絶賛されています。

うれしいですね。


 
 この日本の『おもてなしの心』は 
どこからやって来ているのでしょう?

それは、ご先祖さまたちが育んできた、
美しい心・優しい気遣い・清らかな思考・素敵な智恵が、
時空を超えて現代の私たちの心につながってきているからだと思うのです。

そのことを ふだん何気なく口にしている普通の日本語の由来(語源)を尋ねて、
ちょっとだけ考えてみましょう。



『瞳』という言葉は、
だた「目」というより、
なんとなく愛らしい感じがしますね。

瞳の語源は「人見」です。

人を見る身体の器官だから人見なんです。

現代の私たちは、
鏡や写真で 自分の瞳を見る事が出来ますが、
昔の人は 
そうそう瞳孔を観る機会なんてありませんでした。

赤ちゃんや恋人など 愛する人と至近距離で見つめ合う、
そんな時だけ
相手の目の真ん中にある黒い小さな点を 確認できたんです。

その黒い点は、
なんの疑いもてらいもなく まっすぐに自分を見ていてくれている。

相手にとっても同じです。

ご先祖様たちは、
見つめ合う相手と 心が通じ合っている喜び、
そして 安心を感じながら、
黒い点を『瞳』と言ったのでしょう。



『ゆるす』のは むずかしい事です。

相手を許す(赦す)かどうか考えているうちは、
自分の心の傷が癒えてない状態です。

心が落ち着きを取り戻していれば、
許すか許さないかじゃなく、
これからどうして相手と関係していこうかを
考えているはずです。

無理して相手を許そうとすると、
自分の心の傷は どんどん広がっていくばかりです。

『ゆるす』の語源は
「ゆるくする・ゆるやかにする」です。

ギュッと絞っていた心の入り口を 少し緩めて開いてあげる事。

相手の行為の正当性は絶対認めないけど、
相手の真剣な姿にも 考えを巡らせてみる。

相手の過ちを糾弾しても、それを繰り返さないように懸命に考え、
努めている相手の努力を想ってみる。

そんな心の広げ方が
『ゆるす』という事なんです。

そして、
相手から「ゆるしてもらう」という事は、
相手のやさしさに包まれたことなのです。



この他、
『住む』
「心が澄んだ状態で 日々を過ごせる事」、

『謎』
「何ぞ 何ぞ の好奇心」、

『にこにこ』
「心が柔らかい事で、相手を優しく受け入れる事」、

『ついたち』
「月が立つ~つきたち」、

『もみじ(もみぢ)』
「もみづ。秋の紅葉の事ではなくて、
 神さまが 手ずから揉み出してくれた 命の輝き」 等々。 



この他にも 
まだまだたくさん 日本語の由来の面白さは ありますよ。

(参考「日本の言葉の由来を愛おしむ」高橋こうじ著・東邦出版)



日本語の中には、
先人たちの育んできた 温かい優しさや繊細な智恵が、
真摯な信仰心や 
ふと微笑んでしまうユーモアなどと共にあふれていて、
それが おもてなしの考え方にも
つながっているんだと思います。

日本て素敵ですよね。






檀信徒の皆さんが、和やかな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。

                       山主合掌



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天台宗勤行儀 その17 跋(6)

 なお、今回、“勤行”のあとに、
天台宗の教理を確立した中国 隋の時代の天台智者大師智顗禅師さま(高祖)の
一生を記した『天台大師和讃』(恵心僧都源信御作・p18)と

その天台宗の教えを日本に伝え、日本の風土に合った、現代に伝わる
新しい天台宗を作り上げた平安時代の伝教大師最澄さま(宗祖)の一生を記した
『伝教大師和讃』(伝 最深法印御作・p35)を

両大師さまへの報恩感謝の意味を込めて 載せさせていただきました。






最後になりますが、改めて、“勤行”って何でしょう?

それは 修行のひとつです。

では、なぜ修行をするんでしょう?

お悟りを開くためです。

では、お悟りって何でしょう?

日々 安らかに いい気持ちで過ごせるようになる事です。


つまり “勤行”は 幸せになるための修行です。


お釈迦さまや天台大師さまは、なぜ仏教を説かれ、
また 伝えてきたのでしょう?

自ら悟り、人々を悟りに導くためです。

既にお悟りを開かれたお釈迦さまや天台大師さま、伝教大師さまが
最も願っていた事は何でしょう?

人々が幸せになる事です。

人々とは 私です。

あなたです。


お釈迦さま、天台大師さま、伝教大師さまの御恩に報いるという事は、
私たちの ひとりひとりが 幸せになる事です。

他のみんなと一緒に。


この『天台宗勤行儀』が 少しでもその手助けになれれば、
これほどうれしい事はありません。


                           山主合掌





             
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天台宗勤行儀 その16 跋(5)

ところで、この『天台宗勤行儀』でお唱えする経文の順について 
確認しておきたいと思います。



三礼  最初に、仏さま(心理の姿)。仏さまの教え(心理の教え・
     仏教の仲間たち(真理の担い手)に、心からの礼拝をします。


懺悔文  次に、修行(勤行)を始めるに当たり、今まで犯してきた
      自分自身の罪悪をすべて仏さまに告白し、悔い改め、
      心を清浄に整えます。


四弘誓願  次に、“懺悔(さんげ)”した事で、澄み切って清らかになった心で、
       悟りに向かうための誓願を立てます。
       これを“発菩提心(ほつぼだいしん)”略して“発心(ほっしん)”と言います。
       菩提とは悟りの事で、発心とは「心を悟りに向けて始動させる」という事です。
       この“懺悔”と“発心”は、天台宗の修行の基本です。


開経偈  次に、お経を開いて読み始める前に、「今 自分が こうして
      お釈迦さまの教えを知る事ができ、学ぶ事ができる」という幸運を喜び、
      「この良縁を生かしてお釈迦さまの教えをしっかり体得するんだ」
      という決意をします。


般若心経  次に、いよいよ“勤行”の中心になる修行、“経典読誦”です。

       ここで取り上げた『般若心経』は、「こだわらない心」を悟るための教え
       (空の思想)が説かれたお経ですが、その他にも、先ほど「八万四千の法門」
       と記したように、仏教にはたくさんの教えがあります。

       例えば、天台宗では『般若心経』以外にも『観音経(法華経普門品二十五)』
       『自我偈(法華経寿量品十六偈)』 『阿弥陀経』 等の経典が読まれる事も
       よくあります。

       また、『仏頂尊勝陀羅尼』等の陀羅尼(だらに)、「南無阿弥陀仏」等のお念仏、
       『圓頓章(魔訶止観)』や 『山家学生式』等のお祖師さまの言葉(著述)、
       『天台大師和讃』『伝教大師和讃』等の和讃、
       さらには種々のご詠歌をお唱えする事もあります。

       ただし、お釈迦さまの直接の教えである“経典”を読誦した上で、
       その他の和讃や詠歌等を唱えるのが本義です。


回向文  最期に、“勤行”という修行を終えるに当たり、
      自分だけでなく、すべての命あるものたちが それぞれ悟りを開いて、
      皆が幸せになれる事を願います。







「三礼」から「般若心経読誦」までが 自分を高めるための修行(自行)、
「回向」が自分以外の生き物たちの幸せを願うための修行(化他業)、
この二つが揃って、“菩薩行”が完成されます。

“自行”の外に “化他業”がある事が 
「小乗仏教」と異なる「大乗仏教」の大きな特徴です。

また、自分以外の生き物たちの幸せを願うという事は、
実は自分自身の修行にもなっているという事も
忘れてはならない事ですね。






今日は、ここまで!     


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天台宗勤行儀 その15 跋(4)

さて、この『天台宗勤行儀』には、
経文の漢文 ・ 書き下し文(日本語読み) ・ 意味(日本語訳)
を記しました。

『天台宗勤行儀』を読誦する際は、
漢文読みか、書き下し文でお唱えするのが良いと思いますが、

本尊様や お位牌の前で日本語訳に目を通すことでも
“勤行”の実践にはなるでしょう。



そもそも、お経(勤行儀)による修行というのは、

 ① 受持(信仰する経典を いつも手許に置く事)

 ② 読(経典を読む事)

 ③ 誦(経典をそらんじ 口ずさむ事)

 ④ 解説(経典の内容をよく理解し、その素晴らしさを他の人にも知らせてあげて、
      皆を悟りに導く事)

 ⑤ 書写(お経を書く事、写経)

の五つがそろって 完成されるものです(法華経法師品~五種法師行)。





今日は、ここまで!     


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天台宗勤行儀 その14 跋(3)

また、天台宗は、中国の天台山という山で、
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、

その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。



お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。



天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。



ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で 
仏教の教え全般を勉強し、修行し、

のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。



したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。






ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から

 「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
  夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
  天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」

と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、

天台宗は『法華経』を中心に据えて 
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、

「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。



また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、

来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。



法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」 
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。






ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、

護摩祈祷などの密教や

座禅などの禅(止観)、

戒律 等、

お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。



それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。






今日は、ここまで!       


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天台宗勤行儀 その13 跋(2)

では、菩薩さまとは どんな仏さまなんでしょう?



仏教では 世界を十に分類します。


下方から

 ① 地獄界 

 ② 餓鬼界(餓えた人々) 

 ③ 畜生界(動物)

 ~ 〈ここまでを三悪道といいます〉


 ④ 阿修羅界(喧嘩ばかりの人々) 

 ⑤ 人間界 

 ⑥ 天界

 ~ 〈ここまでを六界、六道といいます〉


 ⑦ 声聞界(しょうもんかい 仏さまの声 つまり説法を聞いて お悟りを開く人々)

 ⑧ 独覚界(どっかくかい 縁覚界とも言い、日々の生活の中で
              ある日 何かの縁でふと悟りを開く人々)

 ~ 〈この二界は 羅漢さんたちの世界です〉


・⑨ 菩薩界 

・⑩ 佛界

 ~ 〈声聞から仏までを 六道に対して四聖といいます。〉


の世界です。






“菩薩さま”と呼ばれる仏さまには、観世音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などが
いらっしゃいますが、

これ等の菩薩さまたちは、皆、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・薬師仏・大日仏などの
仏さま(如来さま)より ひとつ下の位にいます。

では、観音さまたちは 阿弥陀さまたちより お悟りが浅いのでしょうか?



そうではありません。

菩薩さまたちも、既にお悟りを開かれている仏さまなのですが、
最後に
 「この世の中の すべての人々、動物や植物、すべての命あるものたちが、
  自分と同じお悟りを開いてから、
  みんなでいっしょに最高位の佛界に行きましょう。

  すべての生き物たちが お悟りを開くために、
  私は 出来ることを何でもしていきたい。

  それが 私の修行です」

という誓いを立てられたのです。

ですから、あえて上から二番目の位にいるのです。





先ずは 自分自身が 一生懸命 修行して、
悟りという境地を知り、
同時に 周りの人々の幸せのために精進努力する。

これが、天台宗にご縁をいただいた皆さんの“勤行”なのです。

繰り返しますが、天台宗の目指すところは、
成佛(佛さまに成る)のために
菩薩さまの境地に至るということです。







今日は、ここまで!     


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天台宗勤行儀 その12 跋(1)

天台宗勤行儀には、天台大師和讃と 伝教大師和讃とが載っていますが、
ここでは省略して 跋文に進みます。

跋文とは、後記の事です。






          跋


“勤行”とは、もともと「努力して行う行為」「熱心に修行する」という意味です。

この言葉は、仏教以前の、『老子』や『荘子』に すでに出てきます。



仏教(経典)は、インドから中国に伝わり、やがて挑戦半島を経由して日本に至りますが、
その糧において、インド語(サンスクリット語・パーリ語)が 中国語(漢字)に変換、
つまり漢訳されます。

そして、経典の漢訳が盛んに行われると同時に“勤行”という言葉が 
お経の中に頻出するようになりました。

例えば、『無量寿経』『佛遺教経』『大智度論』などがそうです。



日本に仏教が伝わると、“勤行”というと
「一日の内、時間を決めて、本尊様やお仏壇の『お位牌の前でお経を読むこと」
と解釈されるのが一般的になり、
“おつとめ”とも言うようになりました。

「朝のおつとめ」を“朝事”と言ったり、
「夕方のおつとめ」を“夕座”と言ったりします。



天台宗の“勤行”は、大儀には
「菩薩さまと同じ気持ちを持って日々生活していくこと」
と定義してよいでしょう。

そうなるためのひとつの修行方法として、
この『天台宗勤行儀』のような“おつとめ”があるのです。





今日は、ここまで!          


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天台宗勤行儀 その1

今年の正月にお配りした『天台宗勤行儀』を載せます。



合掌

 平素、諸事ご教導いただきありがとうございます。

 さて、この程、住職を勤めさせていただいております
埼玉県深谷市吉祥寺・茨城県稲敷市西泉寺の檀信徒向けに、
『天台宗勤行儀 附 天台大師和讃・伝教大師和讃』
を作成いたしました。

なるべく簡便に短い時間でお勤めができるように、
敢えて必要最小限の経文にしぼった勤行儀にしました。

 構成は、①経文 ②書き下し文 ③意訳 ④天台大師和讃 ⑤伝教大師和讃
⑥跋文(解説) です。

書き下し文は、従来の例文を多少改定しました。

意訳は 従来伝わる訳文を 大幅に改定しました。

両大師和讃は、古来伝わる和讃の、意味を取り違えやすい文字 何字かを
思い切って改めてみました。

跋文は、本書の解説に加え、ほんの少し小衲の思いを記させていただきました。

 昨年の霜月会に、吉祥寺本尊宝前で 天台大師和讃をお唱えしていて、
天台大師が六十歳で遷化された事を改めて想いました。

そういえば、伝教大師が遷化された五十六歳の同じ年齢の折、
小衲 某所にて 最澄様の一生をお話する機会を持たせていただきました。

還暦を迎えて野衲、ここは是非 その記念に何かを
ということで思い立ったのが、極めて私的な本書作成のそもそもの動機です。



 拙文、種々誤謬もあろうかと畏れておりますが、
御尊台様よりの訂正ご指導をいただければ 恐悦に存ずる次第です。

 拙書 謹んで奉呈させていただきます。

                                 九拝


                               瀧川善海






『天台宗勤行儀   天台大師和讃
           伝教大師和讃

                         吉祥寺
                         西泉寺』



     

           〈東大寺誕生仏〉



     天上天下唯我独尊

世界中で一番大切にしなければならないのは
  自分自身のしっかりした心根です。






今日は、ここまで!


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