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チームワーク (その1)

開暦の祥瑞 千里同風なり     

 

平成7年の年頭の挨拶です。

 

 

 

平成七年の新春を迎え、謹んで至心に篤敬三宝を誦し、

併せて 檀信徒各位の ご清安をお祈り申し上げます。

 

 

 

昨年 天台宗では、

第二百五十三世 山田惠諦 座主(ざす)猊下(げいか)が

ご遷化され、

新座主に 梅山円了大僧正が御上任になられました。

 

また、慈覚大師 生誕一千二百年の 讃仰大法会は

各方面で盛儀を見せ、

僧侶の一般公募なども マスコミの注目を集めていたようです。

 

 

 

当 吉祥寺では、

第二十一番 ふれ愛観音(大仏師 西村公朝師 作)の奉安、

南画屏風「暴風雨襲来図」(水昌会主催 西田昌功氏 作)の寄進、

その他 本堂 内陣の荘厳や 境内西側の塀の完成など

様々な幸いが ありました。

 

そして 何より 檀信徒の皆様の ご理解とご協力をもちまして、

住職の退晋山が 大過なく行なわれ、

吉祥寺 五十年ぶり という晋山式が 

盛大に 且つ 厳かに 執行されました。

 

あらためて 心より 御礼を申し上げます。

 

皆様からのお祝いで造らせていただきました五条袈裟を身に

今後 さらに 精進を続けてまいりたいと 存じます。

 

 

 

 

 

『無名人 名語録』(講談社文庫)という本を 

ご存知の方も多いと思います。

 

永六輔氏が いろいろな人々と会話をした中で集めた、

普通の人々の語録です。

 

この本の中で おもしろい言葉をみつけました。

 

「チームワークってのは、

 メンバーが お互いに助け合っていくと思うのね。

 

 そうじゃないのよ。

 

 チームワークってのは、

 ひとりひとりが 自分の役割に ベストを尽くして、

 それで バランスのとれている事なの。」

 

何かのサークルでしょうか、

あるいは スポーツ、はたまた 会社の仕事かボランティア、

女性の言葉のようですが・・・・・・。

 

つまり、最初からチームワークを言うのではなく、

結果として チームワークがあるのだといいたいのでしょう。

 

はっきり言えば、

「余計なことをしないで、自分のことを しっかりやれ」 と。

 

 

 

 

 

 

大きな節目になった頃だったのですね。

 

私が 住職という重責を担うようになった頃だったようです。

 

いろいろ 考えてしまいますね。

 

そして、さまざまな競技で 日本選手が活躍した、

ロンドンオリンピックについても 

思いを馳せずには いられません。

 

長くなりますので、続きは次回に!

今日はここまで!

 

 

 

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一生の計は毎日にあり (その3)

ある人が、法然上人に尋ねました。

 

「わたしは 一生懸命 お念仏の修行をしたいと思っているのですが、

お念仏を唱え始めると つい 居眠りをしてしまうのです。

どうしたら 居眠りせずに 修行ができるでしょうか。」

 

法然上人は この人に対して

「寝て さめてから お念仏すればよいでしょう。」

と お答えになりました。

 

 

 

風邪をひいた時 お医者さんが

「暖かくして寝ていれば すぐ治りますよ。」

と やさしく言ってくださる姿に似ています。

 

 

 

 

 

不眠症で悩んでいる方が 

霊のせいかもしれないから 御祈祷して欲しい

と言って来られた時、

 

「ご先祖の霊魂はそんな悪さはしないだろうから、

 眠れないのなら 眠くなるまで 別の事をしていたらどうですか。

 

 そのうち きっと あなたの身体が あなたの心に 

 安眠を布施してくれますよ。」

 

と言ったら、その人は それっきり来なくなりました。

 

不眠症が治ったのか、私の話に呆れてしまったのか、

ちょっと心配しています。

 

 

 

 

 

ともあれ、

柳生宗矩(むねのり)が「新陰流」なら、

仏教は「南無自然流」とでも言いましょうか。

 

 

 

「一年の計は 元旦にあり」、

 

それでは

「一生の計は 毎日にあり」

にしましょうか。

 

とりあえず お正月には

一年の目標を立てても、

そのあと それを忘れないように、

 

また それに縛られずに

日々 前向きに生きていけるように、

 

毎日 気持ちを新たにして 

精進努力を怠らないようにしたいものです。

 

 

 

 

 

 

<仏道は、初発心のときも仏道なり。

 

 成正覚のときも 仏道なり。

 

 初中後 ともに 仏道なり。>

 

 

 

(心理の道は、

 その道を歩み始めようと決心したときも、

 修行中も、

 悟りを開いた後も

 すべて皆 心理の道である。

                                 道元禅師)

 

 

皆様の語勢安と 御健寿、御隆盛を 

重ねて 心から 祈念申し上げます。

 

 

 

 

毎日 精進を重ねてきた人たちが 熱戦を繰り広げたオリンピックが

閉会しました。

 

メダルを獲得した選手も 

自己ベストに及ばなかった選手も

これまで競技を続けて 努力を重ねてきて

晴れの舞台で頑張った経験から

きっと何かしら 得るものがあったに違いありません。

 

 

 

私たち凡人の人生には 彼らとは違った精進、違った評価、

違ったメダルが用意されているのかもしれません。

 

頑張ったら 

自分で 自分の首に メダルを掛けてあげてもいいでしょう。

 

その時 あなたのメダルは 

金メダル以上の輝きをもって 私たちを照らしてくれることでしょう。

 

 

 

 

 

 

今日はここまで!

 

 

 

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一生の計は毎日にあり (その2)

ある年の正月、

徳川三代将軍家光の下へ 朝鮮から虎が献上されました。

 

家光は 剣術指南役・柳生宗矩(やぎゅう むねのり)に

「そちは その檻の中に入れるか。」

と言いました。

言われた宗矩は 入らざるを得ません。

 

意を決して刀を構え、ジリッ ジリッ と 虎に近づきます。

 

虎は 今にも襲いかからんばかりに 

目を怒らせ うなり声を上げます。

 

長い睨み合いが続きましたが、

やがて虎は 目を伏せました。

 

人々は 喝采します。

 

すいると、それを見ていた隠元禅師が、

「拙僧も」

と 人々が

止める間もなく 檻の中へ入って行きました。

 

いくら高僧でも 虎を説法する事は無理な話と

虎に引き裂かれる隠元禅師を想像した人々は 目を覆いました。

 

ところが、すたすたと虎のそばに寄って行った隠元禅師は

にこにこと笑いながら その頭をなでてやり、

虎も気持ちよさそうに目を細めていたということです。

 

柳生宗矩は 虎を猛獣と見、

隠元禅師は 

衆生(生きとし生けるもののひとつ、人間の仲間)と見たのです。

 

 

 

続きは次回に!

 

今日はここまで!

 

 

 

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一生の計は毎日にあり (その1)

履端(りたん)の嘉瑞(かずい)、朝野(ちょうや)同般(どうはん)なり。

 

平成6年の年頭のご挨拶です。

 

~平成六年の年頭に当たり、謹んで至心に三寶を誦し、

 檀信徒の皆様のご清安を祈念申し上げます~

 

 

 

昨年------景気は相変わらず低迷し、

国際社会の中での日本の立場も どんどん難しくなってきました。

 

そして 政権が変りました。

 

相継ぐ自然災害に 人々は 恐れおののき、

しかし 被災地への救済の手は 各方面から寄せられたようで、

無理のない安全な復興が望まれます。

 

サッカーの日本代表は 惜しくも アジア予選で敗退しましたが、

Jリーグの人気は予想以上で、

プロ野球も フリーエージェント制なるもので 

改革・活性化を進めているようです。

 

大船日本丸、どちらの方向に進路をとるか、

いよいよ正念場が来たようです。

 

 

 

さて、お正月。 

 

「一年の計は 元旦にあり。」

 

皆様は 年頭に どんな目標を立てられたのでしょうか。

 

一休禅師は、お正月に 杖の先に髑髏を取り付けて

 

「このしゃれこうべにも 元は 目玉がついていた。

 

 それが今では 目玉が飛び出してしもうた。

 

 いや目出たい、目出たい」

 

と言って 家々を歩いたそうです。

 

そういえば 「目出度さも 中くらい也 おらが春」

 

と詠んだ小林一茶の句も 思い出されます。

 

 

 

正月早々 水をさすような事ばかりで申し訳ありませんでした。

 

でも、去年の年初めの目標は 皆様 達成できましたでしょうか?

 

私たちは いつも 年末になると 「一年の計」を達成できずに

自分自身を裏切っていることに気が付いて 

頭をかくのではないでしょうか。

 

正月、特に 三が日は ふだんの生活と違って 晴れやかです。

 

これは 一種の興奮状態です。

 

つまりは 知らず知らずの内に 

私たちは 異常心理の状態に陥ってしまっているのです。

 

そこで殊勝な誓いを立てるのは・・・・・・どうでしょうか?

 

 

 

 

 

 

へそ曲がりな一休や一茶と同じくらい、

私はへそ曲がりな事ばかり書きますね。

 

そして 私は

一休や一茶のような へそ曲がりが 大好きなんですよ(笑)。

 

 

 

続きは次回に!

 

今日はここまで!

 

 

 

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ヤマアラシのジレンマ(その3)

だからといって、

他人との距離を空けて

自分は自分で 利己主義になれ というのではありません。

 

 この点を 誤解しないでください。

 

私達のまわりの人々 一人一人には

各々の持ち場があり、

その中で 皆 懸命に生きていることを

認めてあげて、

自分もまた 懸命にいきなければならないのだ

ということを 誓いなさい というのです。

 

他人を思う気持ちは

自分自身から生れるのです。

 

親を大切にする気持ち、

子をかわいがる気持ち、

夫や妻を愛する気持ち、

友人知人を思いやる気持ちは

ずべて 自分個人の心の作用なのです。

 

 

 

 

 

そして、

そのような気持ちをもって対人関係を保つには、

「私は あなたに これをあげるから、

 あなたの持っているそれを 私にください。」

ではなく、

 「私は これを あなたにあげたい、

 貰ってもらえれば とてもうれしい。」

という気持ち、

 

「私は あなたが 好きだから、

 あなたも 私を好きになるべきだ」

ではなく、

「ワタシには あなたという 大好きな人がいて

 とても幸せです。」

という感謝の気持ちを持つことが 必要なのです。

 

 

 

実は、 この感謝の気持ちこそ、

観音様や地蔵様、文殊様などの 菩薩が行うべき六つの修行の

第一に挙げられる『布施行』なのです。

 

天台宗を 日本に伝えた伝教大師は、

大船「日本丸」を 

小乗ではなく 大乗であると言い、

乗組員を 菩薩の修行をする人々だと言いました。

 

現代社会に生きる私達も、

この お大師様の言葉にブライドを持って、

「自分を大切に、他人に優しく」 生活していきたいものです。

 

 

 

~他を利するとは、 即ち 自らを利するなり~ 

   (印度・竜樹菩薩の言葉)

 

 

 

皆様の御健勝と御繁栄を 重ねて心から祈念申し上げます。

 

 

 

 

  

「自分を大切に、他人に優しく」 。

 

私は、反省の意味も込めて、

そうしていきたい、と書いていますね。

 

今も その願いは 同じです。

 

(言い方を変えれば、向上していない、とも。)

 

 

 

ヤマアラシのジレンマ、

これは私の好きなご法話のひとつです(笑)。

 

 

 

 

 

この年には 

年回繰出表を 青い色つきの小さな別紙として付けています。

 

少しでも 皆様のお役に立つことができるようにと、

工夫をしながら 今に至っています。

 

ご意見、ご助言をいただければ 幸いです。

 

 

 

また、本日 8月4日は <平和の鐘>の日です。

 

午後3時30分に 吉祥寺の鐘楼で 梵鐘を鳴らします。

 

 ご一緒に平和を祈念したい方のご参加をお待ちしています。

 

 

 

 

 

今日は ここまで!

 

 

 

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