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八つの煩悩 その2

四苦八苦とは、
自分自身が原因となって生じる根本的な四つの煩悩と、
自分を取り巻く何かが 自分に影響して起こる対他的な四つの煩悩の事で、

つまり、4+8ではなくて 4+4の 計8 の 苦の事を言います。






その第一は、
苦の娑婆世界に生れて生きていく事、≪生苦≫。

「そうは言っても、この世の中 
 楽しい事もたくさんあるじゃないか」
と言われるかもしれません。

でも、楽しい事だけがずっと続く事もありません。

そこが 極楽や天国と違うところ。

だから、この世界に生れてしまった事が 苦しみの始まりなのです。





第二に、年をとること、≪老苦≫。

受験地獄、恋や性の悩み、仕事や生活によるストレス、
身体の不調や 大切な人々との永久の別れ 等々。

年とともに、
次第に 頭の柔軟性、身体の再生力も衰え、
刻一刻と 確実に 死に近づいていく。

「父母や恋人、友人の愛情に包まれて、純真だった、
 希望に燃えていたあの頃に戻りたい」
と 誰でも一度は 思うのではないでしょうか。






第三に、病気になること、≪病苦≫。

人は 風邪をひいても肩が凝っても 困ります。

まして、癌やエイズ等 命に関わる病になれば
言葉に表せない辛さを体験しなければなりません。

また、身体の病気ばかりでなく、
悩みをもっている人は 皆 心の病気にかかっています。

悩みのない人は 少ないでしょう。

私も いつも 迷ったり悩んだりしています。

世の中のほとんどの人は 病気なのかもしれません。





第四に 死ぬ事、≪死苦≫。

この娑婆世界で 人は 

苦しみながらも

それを笑いに代えて懸命に生きてきました。

たくさんの人と縁を結び、

たくさんのものをコツコツを築いてきた人生。

しかし、死んだら 自分には何も残らない。

死とは どういう事なのか、
どうなってしまうのか、
自分はどこへ行ってしまうのか、
痛いのか、
辛いのか、
何も解らない、
誰も教えてくれない、
だから恐ろしい。

死にたくはありません。



                     続きます。


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八つの煩悩 その1

百か日法要の際の法話として考えたものです。






百か日忌は、卒哭忌(そっこくき)、出苦忌、誠光忌とも言います。

≪十三仏信仰≫では、
観世音菩薩の垂迹である平等王が、
死後百日経っても 自らを律せられずに苦しむ人に対し、
内に大慈悲を、外に忿怒相を減じて 教化を施す日 
とされています。






さて、本日は、私たちが生きていく中で
直面する 苦しみ、悲しみ、怒り、痛み、落胆等、
いわゆる煩悩というものを考えてみたいと思います。

おそらく、
故人の 病中、死、葬儀、その後の様々な事後処理等に於いて、
皆さん それぞれに、大なり小なり
憤りや 不安、寂しさ、やるせなさ、口惜しさ、煩わしさ等を
感じられたのではないでしょうか。






お釈迦様は 「思議」と 「不思議」とを分けて、
「不思議」なことは 大自然の真理にまかせて、
人は「思議」なることを追求し、
物事の原因と結果を理解することが
悟りを目指す上で 大切な事だとお説きになりました。



つまり、仏教は オカルト宗教とは 全く相反する立場の
科学的、論理的、客観的教義と
人々の純粋な信仰が結びついた宗教なのです。

従って、悩みや苦しみを克服する方途として、
煩悩も様々に 分析、分類されています。

例えば、皆さんが日常よくお使いになる≪四苦八苦≫もそうです。



                      続きます


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桜なんか嫌いだ!

花が咲くまで 「今か、今か」と気を揉んで。










咲けば咲いたで「何部咲きか?」










満開になれば 「いつ散るか?」









まったく、桜には 悩ませられます。

だから、桜なんか、嫌いだ!
と へそ曲がりな事を言いながら
今年も桜を楽しみました。



明日は花祭りです。


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