goo

生まれて生きて死んでそれから・・・(6)

では、その感覚を司る身体の器官は何でしょう?

それは「心」です。

その心は 体のどこにありますか?

「心臓」ですか?

心臓は 体の器官の中枢ですが
物を考えたりはできません。

では「脳」ですか?

確かに今の医学・科学では
そう言うかもしれませんが、

医学者、解剖学者、作家でもあった養老孟子先生は、
「脳は肉体で 心は精神である」と、

肉体である脳と 精神である心を 分けています
(精神の神という字は 同じくシンと読む心の事で、
 心は神なんです)。



ところで、人が何かを夢中のなって、真剣に、懸命に、
思い、考えるエネルギーは 
膨大ですさまじいほど強いものだと思います。

その膨大ですさまじいエネルギーを作り出しているのは
「心」です。



ところが、身体の中には 心という器官が どこにも無い!

無いけれども有る!

有るけど無い!

無いものは無くならない!!


だから「心は有る!!!」



心 を言い換えれば 魂 です

霊 です

霊魂 です

難しく言えば、肉体にある五感は
生まれてもいずれ無くなる 生まれ滅する「生滅」

第六感の 心 ・ 魂 は
生まれもせず滅しもしない「不生不滅」
という論理分析です。






ところで、1901年、
ダンカン・マクドゥーガルという学者が、
魂の重さは 平均21gであると
ある学会で発表しました。

彼の研究は、
6人の死期の近い被験者の 死ぬ間際の体重と、
息を引き取って間もなくの人の体重を
比較した結果、
人間は 死ぬと 平均21g軽くなり、
それが魂の重さであるというものでした。

その真偽はともかく、
心・魂の存在を 科学的に立証しようとした試みが
20世紀のはじめにはあった
という事です。

そして今も、
科学者による魂の存在についての研究は続いています。

閑話休題





さて、科学とかじゃなくても、
昔から日本人は、
「魂はある」と思っていたようです。

或いは、「魂はあってほしい」「あった方が良い」
と考えていたようです。

魂はある と信じて、
ご先祖や、大切な人や、尊敬する人たちに見守られていたい、
その人たちに恥ずかしくない人生を送っていこう・・・。

それから、
自分の肉体は滅びても、
魂になって
大切な人たちを見守っていきたい、
助けてあげたい、
愛し続けたい・・・。

という、日本人の
優しくて、あたたかくて、素晴らしい思い、
私たちのご先祖は 素敵な心をもっていたんですねぇ。



心は魂で、今日のテーマ 命とは何か を
究極まで突き詰めていくと
それは 
不生不滅の心・魂 という事になると 私は思います。



つづく



   


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれて生きて死んでそれから・・・(5)

第2章 生きているってなんだ!?





仏教は(今度はちょっとだけ仏教のお話です)、
二千五百年前に、
まぁ、史実の上でも 少なくとも千年以上前に、
メモに書いたような事を
考えていたんですねぇ。

人が生きているという感覚を持てるのは 
どういう時か?

それは、何かを認識できた時ですよね。



①まず、人間の身体には 目がある。

 目でものを見る事ができる。

 あそこに花が咲いている、
 お寺がある、
 住職さんが草取りをしている  などなど


②目を閉じても 耳がある。

 耳で音や声を聴く事ができる。

 風の音、雨の音、
 お坊さんがお経を読んでいる声、
 ご主人の鼻歌  などなど



③目を閉じて 耳をふさいでも 鼻がある。

 鼻で匂いを嗅ぐ事ができる。

 お香の匂いがする、
 花の香りがする、
 奥さんが作っている夕餉を用意する匂い  などなど



④今度は鼻もつまんでしまいましょう。

 でも口がある。

 口に入れたものを 舌の上で転がす。

 これはリンゴだ、これはチョコレートだ、
 お肉だ、お魚だ  などなど



⑤口も閉じてしまいましょう。

 でも、触ればそれが何なのかわかりますよね。

 机だ、本だ、洋服だ、グラスだ  などなど





この5つの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を
五感と言います。

ただ、五感だけでは それをそれと感じる事はできません。

そこでこの五感の外にもうひとつの、
所謂 「感」というものがあります。

「昨日の競馬で、勘が働いて大穴当てたんだよ」
の第六感です。



つまり、

花を見てきれいだ。

大好きな音楽を聴いて落ち着く。

お香の匂いで癒される。

美味しいワインを飲んで 明日への活力がみなぎってくる。

可愛い猫ちゃんを撫でていると 優しい気持ちになってくる。

その「思い・感情」というのが
第六番目の「感」 第六感です。



つづく






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれて生きて死んでそれから・・・(4)

⑱ 赤ちゃんの産着や 亡くなった人の死装束、
  場合によっては 額や足の裏に、
  ✖・☆・※・大や犬の字などを書いて、
  魔除けにする事が同じ習俗。


⑲ 出産に伴う血穢と 死ぬ事の死穢、
  「穢」というのは 恐れ という意味で、
  竈の火によって伝染すると言われているので、
  昔はそれぞれの場面での それぞれのご飯は
  別々の竈で炊かれていました。

  恐れを伴うという意識が同じです。



以上、大急ぎでした。





こんなふうに 生と死を比べてみると、
うやら 私たちのご先祖さんたち 日本人は、
大切な人が亡くなっても、
或いは、自分が死んでも、
また人間の誰かになって生まれ変わるんだ、生まれ変わりたい、
と願っていた。

自分の子供は、或いは 孫は、
昔の誰か偉い人の生まれ変わりなんだ、
こんなにかわいくて、賢いんだからそうに違いない、
と思っていた、信じていた
ようですね。

これを 自己中、自己中心的だとか、「親バカだ」とか言う前に、
こんな考え方をする日本人は、
生まれた赤ちゃん、子供たちに対する
あったか~い、深~い、優し~い 愛情、
ご先祖様に対する愛惜、報恩感謝の思いが
あったのだと思います。

生まれて 生きて 死んでも 
また どこかに生まれて 生きて・・・
そうして、先祖に感謝し、子孫を愛し・・・

という事を繰り返しているのです。





この章の最後に
2つほど付け加えさせていただきます。

生まれるという事について

体内記憶という言葉をご存知でしょうか?

心臓疾患で生まれてきた、いんやく りお という子の
「自分をえらんで生まれてきたよ」という詩集があります。

母親が看病しながら りお君の言葉を書き留めたものです。

赤ちゃんは 母親のおなかの中にいる時の記憶がある。

生まれる前の記憶です。

更には、命が宿る前の記憶さえある。

それをこの詩集が証明しています。

池川明 池川クリニック院長の見解です。



次に、死という事について。

日野原重明医師の言葉です。

人生というのは、川の流れの如きものである。

 川はやがて海に至る。

 死 とは 海 である。

 滔々と流れ来た人生が、最後は 大海原でゆったりと落ち着く


という内容だったと記憶しています。

2つとも 今日の生と死の問題について、
興味深い話だったので ご紹介させていただきました。





いろいろ余計な事も言っちゃいました。

瀧川、時々 嘘をついて、人を化かしたり、煙に巻いたりしますから、
「取り扱い注意」です。



話を変えます。



つづく




拙著『法事』


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれて・生きて・死んでそれから・・・(3)

⑭ 赤ちゃんが生まれてからの1年間、
  お葬式の後の1年間には、
  2年目以降にはやらない特別なお祝いや供養をする事が同じです。

  例えば 子供の初めて迎えるお正月には
  破魔弓や羽子板を贈ったり
  初節句をお祝いしたりする事や、

  新精霊の新盆、初彼岸、喪中欠礼なんかです。



⑮ 日本人は みんなお正月に一斉にお誕生日を迎え、
  歳を取るわけですが、
  一年目だけは特別にお誕生祝をします。

  亡くなった人の一周忌、
  どちらも1年目に儀式・儀礼をします。



⑯ 七五三のお祝いと、三回忌・七回忌。

  五は違いますが、三と七が同じ!



⑰ 女の子は13歳になると 虚空蔵様をお参りして、
  帰って来て腰巻を巻きます。

  これは 神の子であった女の子が 人間の女の人になる、
  いわゆる成人式で、
  この日以降 お嫁に行く事が許されるようになります。

  亡くなった人の十三回忌の供養と、
  13年目とは別ですが、
  「不動 釈迦・・・」で始まる十三仏念仏の最後が
  「阿しゅく 大日 虚空蔵。」で 虚空蔵菩薩。

  三十三回忌の虚空蔵様が終わると、
  亡くなった人は 年忌明けして あの世での修行を終えて
  氏神になる。

  13という数字が一致するという事と、
  虚空蔵菩薩という仏様を介して
  神から人へ、人から神へと変わるんです。





ここで、ちょっとコマーシャルさせていただきます。

今の何回忌とかの忌日や年忌についての詳しいお話は、
令和6年6月4日発行、
瀧川善海著、つまり私なんですが、
『法事』という題名の本を書いて
一般在家さんの目線で 詳しく解説させていただきました。



この本なんですが、



『法事 —— 附 三千仏名経・盂蘭盆経・地蔵経 』

日本人にとって法事とは? その定義・歴史・思想・習俗・法要等を
平易に解説



本書は、ご先祖供養の年回「法事」の外、
「盂蘭盆会」、「施餓鬼会」、「地蔵盆」、
お釈迦さまは何をお悟りになったのかの「成道会」、
「仏名会」などについて論じ、
過去現在未来の仏さまを全部書き上げた「三千仏名経」等を
収録させていただいています。

300部限定なので、
製作費が1部約1万円もかかっているんですが、
多くの人に読んでもらいたいので
半額は著者買いで私が出していますので、
送料別一冊5000円 ヤマト便代引きで
出版社を通してお譲りさせていただきます。

ご興味があったら宜しくお願いします。





すみません、話を進めます。



つづく
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生まれて・生きて・死んで・それから・・・(2)

② 赤ちゃんの元気な産声と、喪主の魂呼びなど。
  
  大きな声を出すのが同じ!



③ 出産した時の産飯と、人が亡くなった後の 枕飯や 四十九餅など。

  ご飯を作るという事が同じ!



④ 生まれた後の 三日祝いと、お葬式の後の 三日斎

  三の数字と宴会をするという事が同じ!

  この宴会は、「共」という字を書く「共食」です。



⑤ 赤ちゃんが初めて会う人は 産婆さん。

  亡くなった人が初めて会う人は 三途の川のほとりに陣取る奪衣婆

  どっちも初めて会うのは 年を取った女性です。



⑥ 赤ちゃんは産湯で、亡くなったひとは湯潅で、
  どちらもお風呂に入って体を清めます。


⑦ 産湯の赤ちゃんは 産着に着替えます。

  亡くなった人は 死装束に着替えます。

  着替えをするのが同じ!



⑧ 赤ちゃんは 産屋で生まれ、ご遺体は喪屋に納められます。

  どちらも 神さまの領域である特別な空間に移ります。




⑨ 赤ちゃんが生まれると お父さんは
  近くの神社で 石を拾ってきて神棚に供え

  その赤ちゃんが歳をとって亡くなると
  喪主が その石で棺を2度たたき、

  お葬式の後 石を神社に返し
に行きます。

  どちらも です。




⑩ 赤ちゃんの御七夜のお祝い、
  これまでに名前が付けられます。

  亡くなった人の初七日の供養と お戒名の授与。

  の数字と 新しく名前が変わる事が同じ!



⑪ お誕生の 日明餅と、お葬式の長寿銭や遺物料

  御祝儀の御裾分けと 故人の遺産分け、同じ事をしています。



⑫ お誕生100日目のお食い初めと、百箇日の供養

  どちらも100



つづく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ