イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

令和5年大施餓鬼会のご案内

2023年10月09日 | お知らせ
檀信徒各位


合掌 天高気清の候、貴家ご一同様に於かれましては
愈々御清栄の事と拝察申し上げます。

さて、当山恒例の 
大施餓鬼会 並びに 檀徒各家先祖代々諸精霊総回向を、
本年は旧来に戻し、下記のとおり執行致します。

ご来山をお待ちしております。                再拝


          記

 1.日時  11月12日(日曜日)

     ☆午後1時30分~2時20分 施餓鬼会法要

     ☆午後2時30分~3時20分 法話(住職『ほとけさま』)



 2.法要式衆 他寺の法助をいただきます。式衆の人数は未定です


 3.回向志納金 卒塔婆1本につき 基準5,000円


 4・卒塔婆配布方法 施餓鬼会終了後 お渡しいたします


 ☆ 中瀬外檀徒の卒塔婆は、当山にて墓地に建てさせていただきます


                              以上



御挨拶 6

2023年08月31日 | 日々之法話
●ところで、伝教大師は、ご自身のお弟子様たちを
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
 =麁食者(そじきしゃ)と言って、
 だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
 醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。

決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。



●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。

「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
 法華一乗を学び、伝えていきますから、
 皆も同じく天台宗の教えを学び、
 精進を続け、
 いつの時代か また再会しましょう」

と言われました。

これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。


(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)







小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。

「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。

 伝教大師が あと十年・二十年 
 長生きされておられたら何を成したのか、
 我々天台宗の末弟末徒は、
 その事を考え続けなければならない」と。

その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。





なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。

ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。

唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。

この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。



以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。



                          合掌



御挨拶 5

2023年08月29日 | 日々之法話
●照千一隅について いろいろお話してきましたが、
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。

先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
 自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
 遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。

その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって 
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に 
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。

仏教徒は「求道者」なのです。



つづく



御挨拶 4

2023年08月27日 | 日々之法話
●能行能言の「三品・・・」について、
これも誤解される事が多いのですが、
三品とは 国宝・国師・国用 の事ではなくて、
上品が「国宝」、中品が「国師・国用」、
下品が「国賊」です。

そして、三品とも皆 等しく成仏できる
というのが天台宗の教えであり、
伝教大師が強調されている事なのです。

例えば、『法華経』の
「悉有仏性」「悉皆成仏」の教理、
『蘇悉地経』に準拠した十二年籠山
(十二年 比叡山に籠れば どんな人でも必ず一験を得ることができる)
などに その精神が鮮明に語られています。



●また、伝教大師が生涯貫いてきた思想は、
実は最初に師事した行表法師の【一乗】の教えで、
生きとしいけるものは 皆 等しく 
大白牛車(仏乗)=悟りの車 に乗れているのだ
というものです。

この一乗の教えは、伝教大師が唐から伝えられた
円・密・禅・戒 の四つの教えすべてに表現されています。

ちなみに、大師は著作『守護国界章』の中で、
三乗(羊車=声聞乗 ・ 鹿車=縁覚乗 ・ 牛車=菩薩乗)をさえ
「隠密法華」として 一仏乗に帰す と言って
救っておられます。


つづく



御挨拶 3

2023年08月20日 | 日々之法話
●一隅を照らす運動の根拠となった伝教大師真筆の
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照一隅」か 「照一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。

意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。

誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。

『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。



●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。



●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。



●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。

さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。

ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。



●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。

魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。



●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」 
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。



つづく