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イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

生まれて生きて死んでそれから・・・おまけ

2025年01月23日 | 日々之法話
あと、3分だけ 時間を下さい。

おまけのお話です。



ある禅寺が舞台です。

境内の朝の掃除が一段落して、
小僧さんたちが庭の隅にたむろして
一段落していました。

そのうち 一人の小僧さんが こんな事を言い出しました。

「ねえねえ、お浄土って どこにあるんだろうねぇ?」



別の小僧さんが即座に答えました。

「何を今更そんな事を言ってるんだい。
 
 西方極楽浄土って言うんだから、
 お浄土は西にあるに決まってるじゃないか」



すると、また別の小僧さんが 首を傾げながら言いました。

「ん~、そうなんだけどさぁ。

 ボクは 朝早起きで、
 いつも暗いうちに目が覚めちゃうんだけど、
 だから 毎日 朝日が昇るのを見るんだよ。

 暗い夜が明けて 世界が朝日でサーッと明るくなっていくのを見ると、
 よーし、今日も頑張るぞって 気力がみなぎってくるんだ。

 もしかしたら お浄土は あの朝日が昇る東の方に
 あるんじゃないかなぁ」



するとまた、別の小僧さんが したり顔で言いました。

「みんな知らないの?

 お釈迦さまは 北を向いて亡くなられた、
 涅槃に入られたんだよ。

 だから お浄土は 北にあるって事なんだよ。



小僧さんたちが皆で、
あーでもないこーでもないと話しているところに、
一休さんが通りかかりました。

小僧さんたちは 一休さんに問いかけます。

「一休さん 一休さん、
 お浄土って どっちの方角にあるんですか?」

一休さんが言いました。

「んっ、浄土か?

 南にあるに決まってんだろ!」

と言って すたすたとお堂の方へ行ってしまいました。



お浄土は皆、身に有る、心の中にある

ということです。

お浄土は 皆身に有る

そこにお住いの仏さまも 皆身においでになる

皆さんの心の中には 浄土という天国もあるし、
お釈迦さまや阿弥陀さまや観音さまやお地蔵さまも
いらっしゃるという事です。





いよいよ時間がきたようです。

案の定、まとまらない、
お聞き苦しい講演になってしまいました。

申し訳ありませんでした。


ただ、、もし 私の話の中で、
初耳の事、忘れていた事が ひとつでもありましたら、
それを知識としてお持ち帰りになっていただければ
ありがたい。

皆さんの一人お一人が、
その知識を これから生活していく上での
知恵に代えていっていく一助にでもなってくれれば、
こんな有り難いことはありません。



一期一会という言葉があります。

今日の出会いを大切にしようという意味の禅語ですが、
あえて、今はそれだけで終わるのではなく、
またどこかで皆様と元気に再開したいと思います。

もし 私を見かけたら
「お坊さんの話、寄居の高蔵寺さんで聞いた事ありましたよ」
と、ぜひ 声を掛けて下さい。

私も、皆さんを見かけたら、
「お元気ですか」
とお声を掛けさせていただきます。

またお会いするまで 
お互い元気で頑張っていきましょう。

本日は、本当にありがとうございました。



おわり
 


生まれて生きて死んでそれから・・・(10)

2025年01月20日 | 日々之法話
第4章 千の風になって


 さて、時間がなくなってきてしまいました。

第4章は、皆さんご存知の方が多いと思いますが、
「千の風になって」という歌です。

ここで私が何を言おうとしているかというと、
歌詞の内容が、

英語の歌詞は ネイティブアメリカンの作詞、地球の反対側でできた詞だそうです。

日本語訳は 新井満さんによるもののようです。

これが、実に仏教的だなぁ、と思いました。

だから「とっても仏教!」って、線で囲んでおきました。

千の風って、今 お話してきた
「魂・心・思い・命」
の事です。

地球の反対側に住んでいる人たちも
私たちと同じ気持ちなんだと知ると、
なんだか嬉しくなります。



つづく



生まれて生きて死んでそれから・・・(9)

2025年01月05日 | 日々之法話
みなさん 考えて見て下さい。

」はすごいんです。

何でもわかってる。

私たちが生きていくうえで、
こーしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。

これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ。

本当は 全部 わかってるんですよ。


「自分は無知だから、
 歳をとっているから、
 若すぎるから、
 男だから、
 女だから、
 世の中の事、なんにもわかんないよ。

 パソコンやスマホなんか とんでもないよ」

という方がもしいるとすれば、それは言い訳で、
知らない事は調べればいい、
勉強すればいい、
という事を あなたの心は 実は知っています。



徹夜でマージャンしたり、お酒を飲みすぎると
身体によくない、という事を
がちゃんと知っていても、
肉体の快楽を求めて、
ついつい徹夜して遊び惚けたり、深酒したりしてしまう。

それが普段の私たちです。

でも、「それじゃいけない」って 
私たちのは知っているんです。



私たちは、普段、そんな素晴らしい私たち自身の
本当の心、真実の心を、
自分の欲望のために こき使っている。



あなたの心は あなたの事を 何でも知っているのに、
もし その事に気が付かないとすれば、
気付かないフリをしているならば、
とっても勿体ない事だと思います。

あなたの心が可愛そうです。



一度、自分の心のいう事を 素直に聞いてみてはどうか
と思います。

一度、自分自身の心に真剣に寄り添ってみてはどうか
と思います。



それから、自分の心には 嘘はつけません。

嘘をついても 自分には全部バレちゃっています。

心に寄り添うという事は、
いつも 正しい事、恥ずかしくない人生を送る
という事、
でなければ、自分に対して恥ずかしい事になります。

自分に恥ずかしくない人生を送る。

自分の人生劇場の主人公は 自分であり、
主人公は 正々堂々とした、
カッコいいヒーローでなければならない、
優しいヒロインでなければならない。

そういう事です。






を大事にしていると、
本当の自分というものが分かってくる。

本当の自分に気付けるようになる。

自己完成、悟り にどんどん近づいていきます。

死んでもついて来てくれる、っていう第四夫人は、
遠い深谷国、あの世に行って、つまり死んだら、
その名をに代えます。

皆さんの純粋な思いがそれです。

その、心・魂・思いは、
皆さんの後に生まれてくる可愛い子供たち、孫たち、
その未来人の生きる指針になる。

逆に、そして 同じように、
皆さんのご先祖さん、私たちの先人たちの心・思い・そしては、
私たちが 今 生きていく糧になっている、
それが瀧川が考える命のつながり、命の連鎖です。

生まれて 生きて 死んでも
また 生まれて 生きて ・・・ということです。

以上です。



つづく




変わることは進歩 変わらないことは安らぎ           変われる自分は誇らしい 変わらない自分は愛おしい

2025年01月04日 | 謹賀新年
令和七年の初春を迎え、謹んで至心に三宝を誦し

檀信徒の皆様のご清祥を心よりお祈り申し上げます。




長野県の山間部、中山道沿いの宿場町の一つに
妻籠宿があります。

深い山間に位置する妻籠の村は、
その立地の悪さから 
大きな工場や商業施設、住宅地などを誘致できず、
際立った産業もないまま、
次第に過疎化が進んでいきました。

やがて 村に残ったものは、
機能を失った古い宿場の街並みだけになってしまいました。

「このままでは 私たちの妻籠が無くなってしまう」

住民たちは 大切な自分たちの住む村を どうしたら残せるか
皆で真剣になって考えました。

「そうだ!

 妻籠の宿を変えなけらば
 ステキな観光資源になるんじゃないか!」

こうして
住民たちによって 古い景観が大切に保護された妻籠宿は、
日本初の “全国伝統的建造物群保存地区” に指定され、
中山道でも 有数の観光地として
成長していくのです。





福岡県の柳川市は
現在 水郷の町として とても有名ですが、
かつて(昭和52年)
町中の水路が 交通の妨げになるとして、
道路を広げ 町中を整備するために 
水路全体をコンクリート張りにすることが
議会で決定されました。



でも、故郷の景観が大好きだった一人の市職員が
市長に計画の撤回を直訴します。

「柳川の水路は 柳川に暮らす私たちの宝物です。

 無くさないで!」

それを知ったたくさんの住民たちも
故郷の町の美しさに改めて気づき、
議会の決定を覆す形で コンクリート化の計画は中止され、
結果 柳川は現在でも“水郷の柳川”として
日本国中から たくさんの人々が訪れています。





ⅠT革命とか デジタル化とか、そういった事が 
かっこいいを通り越して
当たり前の時代になってきましたね。

だから、好むと好まざるとにかかわらず、
私たちも 変わらざるを得ないのでしょうね。

でも、変わる事が偉いわけでも 
かっこいいわけでもありません。

昔からの美しい風景に癒され、
昔ながらの祭りや行事に感動する。

そんな心の豊かさや穏やかさは、
時代が変わっても
ずっと持ち続けて行きたいものですね。



                    山主合掌





追記 此度 小衲儀、令和6年10月23日付けで、
   住職三十年勤続褒賞・布教功労褒賞を受賞し、
   天台座主猊下より 表彰状を授与されました。

   此れひとえに檀信徒の皆さまのご厚情によるものであり、
   皆さまを代表しておの受賞と心得ております。

   今後も「常精進(じょうしょうじん)」「不休息(ふくそく)」の
   二菩薩を奉じ、求道の毎日を送ってまいりたいと存じますので、
   相変わらず宜しくお願い申し上げます。



生まれて生きて死んでそれから・・・(8)

2024年12月31日 | 日々之法話
さて、ある日、長官は寄居国の国王に呼ばれて
お城に赴きました。

「王様自らのお呼び出しとは、
 いったいどんな御用なのだろう?」

ドキドキしながら謁見の間に通された長官でしたが、
国王は
「長官、君のお陰で、この寄居国は美しく平和で
 富栄えている。

 ありがとう」

と、並み居る重臣たちの前で、
最上級の言葉で長官を讃えました。

そして
「実は、私の友人の王様が治めている深谷国が
 荒れ果て、国民たちが争いばかりで、
 とてもひどい有り様になってしまっているらしい。

 ついては 長官、君の手腕を見込んで、
 甚だ遠い深谷国だが、
 かの国を 平和な国にしてやってきて欲しい」

と命じました。





王様から直々に重大な仕事を依頼された事に感激しながら、
長官は その足で 第一夫人の家に向かいました。

「今、国王様から直々に、
 深谷国の治安を守るように頼まれた。

 この仕事は とても名誉な仕事だ。

 1カ月後に 深谷に向けて出発するから
 準備をしておきなさい」



それを聞いた第一夫人は、
「深谷国って どこにあるんですか?

 聞いた事もありません。

 きっと野蛮な国に違いありませんよね。

 私はそんな国に行くなんて絶対嫌です。

 あなた一人で行って下さい」

と答えました。



頭にきた長官は、次に第二夫人の元へ向かいました。

「実は今日、王様から かくかくしかじか。

 第一夫人は 行ってくれないそうだ。

 第二夫人のキミを連れて行く。

 そのつもりでいてくれ」

第二夫人「そんな遠い国に行くなんて大変ですねぇ。

 私だってそんな遠い国に行くのは嫌ですよ、

 あなた一人で行って下さい」

という返事。



「こんなに大事にしているのに 第二夫人までもか」

とむしろ戸惑いながら、
長官は 第三夫人の元へ向かいます。

「実は今日、王様から かくかくしかじか。

 第一夫人と第二夫人は 一緒に行ってくれないそうだ。

 キミは一緒に行ってくれるよな」



それを聞いた第三夫人は 驚いた顔をしながら
「お供をしたいのはやまやまですが、

 私は 年老いたお父様、お母様と、
 幼い子供たちの面倒を見なければなりません。

 一緒には行けません。

 遠路深谷国まで大変でしょうが、
 くれぐれも気を付けて行って下さい」

との返事。



がっかりした長官は 自分の家に帰ります。

肩を落として帰宅した長官を見た第四夫人。

「いったいどうしたのですか?」

「実はなぁ、
 今度 国王の命で 
 深谷国という遠い国に赴任する事になったんだよ。

 第一夫人も第二夫人も第三夫人までも
 一緒に行ってはくれないんだそうだよ。

 キミもそんな遠くて野蛮な国に
 一緒に行くのは嫌だろうなぁ」



第四夫人「何を言っているんですか!

 私はあなたの妻です。

 もちろん一緒にお供します。

 お供させてください」

と言って にっこり微笑みました。





1カ月後、旅立ちの日、
第一夫人は 今日が長官の出発の日だということすら忘れて、
豪奢な家の 豪奢な部屋で 近習の者たちと、
ご馳走を食べ、遊び惚けていました。

第二夫人は 屋敷の窓から手を振って
長官を見送ってくれましたが、
もう片方の手は 
窓の外から見えないように隠れていた別の男性の手を 
しっかりと握っていました。

第三夫人は家族と共に 
長官を 寄居国の門、国境まで
「どうぞご無事で」
と涙を流しながら見送ってくれました。



そして、第四夫人だけが かいがいしく長官に寄り添って、
共に旅立って行った。

という物語です。





さて、ここで言う豊かで美しい寄居国とは、
私たちが今暮らしている「この世」です。

野蛮で荒んだ深谷国とは「あの世」です。



では、第一夫人とは・・・ それは自分の肉体です。

生まれてから死ぬまで 人は肉体の快楽のために
我慢をし尽くして生きていますが、
死んだら肉体は荼毘に付され、
土に埋められ、
滅びて無くなってしまいます。



第二夫人とは 自分の財産です。

人と争って手に入れたたくさんの財産も、
あの世まで持って行く事はできません。

自分が死んだら、他の人の物になってしまいます。



第三夫人は 家族・親戚です。

親族は あなたの死を 涙を流して悲しんでくれますが、
一緒に死んでまではくれません。



それでは 第四夫人とは?・・・ それは自分のです。

肉体が滅んでも、
財産が無くたって、
寄り添う家族・親族がいなくなっても、
死んでも
自分自身の心は ずっと自分自身と共にあるんです。

心は魂の事です。

心とは 人の命の源泉です、そのものなんです。



つづく