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徒然なるままに その49

前にも言いましたけど、
そもそも、
ブッダは 何のために教えを説いたのか?


自分が有名になるためじゃ ないですよね。


教団を大きくして ひと儲けするためじゃ ないですよね。


みんなが幸せになるために 教えを説いたんです。



しかも、いや だからこそ その教えは、

どんな人にもわかる、
どんな人でもできる、
優しくて、温かくて、ホッとできて、やる気も出て、
ポジティブで、楽しくて、ワクワクできて、

そんな形容詞を 全部くっつけたようなものだったはずです。






ブッダは、

私はね、新しい事や 難しい事を 何一つ 言ってないんだよ。

 新しく発見し、発明いた真理なんて ひとつもないんだよ。

 悩んでる人や 悲しんでる人・苦しんでいる人に、

 見えなくなっていた・気づく事ができなくなっちゃった 
 苦しみから逃れる考え方や、その方法なんかを、

 思い出させてあげているだけなんだよ。

 

 普通の、当たり前の心理を知る事で、
 
 誰の心でも 救われるんだよ。

 
 
 大丈夫、心配ない、心配ない


と言ってたんです。






それからブッダは、お説法の聴聞を強制しませんでした。

聞きたい人は聞けばいい、聞きたくない人はきかなくてもいい。



何千何万の聴衆の前で説法したなんて伝えられる事もありますが、

その何千何万は、王様や大聖人なんかが集めた聴衆で、

ブッダが自ら講演会を開いたわけじゃない。


悩んでる人を見かけると 声を掛ける事はしましたが、

「いいから俺の話を聞け!」
とは 決して言いませんでした。



そこが他の宗教と全く違う。

仏教のクールさ、かっこよさ、品格なんです。

仏教の布教の精神の大事な所なんです。

ブッダはお説法の聴聞を強制しなかった」です。


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