イチョウの下のよもやま話

埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ

徒然なるままに その28

2014年10月27日 | 日々之法話
次は、ブッダは どんな食べ物を食べていたか



高価な銅製のお皿やお椀で、
豪華でおいしい食事をしていた
ようです。

多美飯食」 つまり、
「多」たくさんの、
「美」おいしい、
「飯」ご飯を
「食」食べる、
と 『大パリニッパーナ』とかいう資料には、
伝えられているようです。

また、食事の器は、
当時としては 極めて高価な 銅製のお皿やお椀だったようで、
この器を盗んでひと儲けしようとしたお弟子さんもいた
と伝わっているくらいです。






現代の私たちがイメージするブッダ、
あるいは その旅に付き従うお弟子さんたちの食事は、
ごく質素なものだったように想像してしまうんですが、

でもね、自然に考えて、ブッダを慕う人たちは、
尊敬するブッダや そのお弟子さんたちには、
おいしいものを たくさん食べてもらいたいと思っていたに
違いありませんし、

滋養のある食事を十分とって 体力をつけておかないと、
時には500人、あるいは1000人とも言われるほどの
弟子たちを引き連れての長旅には、
ブッダは耐えられなかったんではないでしょうか?

それに、せっかく信者さんが心を込めて用意してくれた御馳走を
断ることもできないんじゃないかと思います。



もちろん、ブッダがアーナンダだけ連れて、
誰も知らないような町や村を旅している時は別ですよ。

托鉢していただいた質素な食事を、
ブッダもアーナンダも 道端に座ってニコニコしながら、
おいしそうに食べたんだと思います。





ただ、ブッダやブッダのお弟子さんたちが 豪華な食事をしていた 
なんて言うと、

ブッダの仏教より 
イエスのキリスト教の方が
清廉なイメージに聞こえるかもしれませんが、

聖書のマタイ伝なんかを見ると、
「イエスとその弟子たちは 大飯食らいの 大酒飲みだった」って、
堂々と書いてあります。

最後の晩餐なんかは 実際すごい事になっていたのかもしれません。




    
          




今日は、ここまで!



徒然なるままに その27

2014年10月20日 | 日々之法話
紀元前89年から 77年ごろにかけて、
第4回結集(経典編集会議ですね) が開かれて、
経律論の三蔵が 文字化されたわけですが、

それから100年前後で 初期大乗仏典が編纂され始めたんです。



その最初が『八千頌般若経』だそうで、
その後 続々と 『法華経』『華厳経』『無量寿経』なんかが
編纂されていったそうです。

でも、今日は、こんな事、メモんなくて結構です。






ただ、何で今、こんな くだくだしい事を言ってるかというと、
仏典ってのは、少なくとも ブッダが書いてまとめたもんじゃないって事ですよ
・・・・・・常識ですけど。






『法華経』は皆さん 一回くらいは読んだ事があるでしょう?

お経読んだっていう事じゃないですよ。

「意味を追って読んだ事 あるでしょ」っている意味ですよ。

『法華経』の中味 知ってますか?って事ですよ。



『維摩経』は どうですか?

『阿弥陀経』は?

『涅槃経』は?

『大日経』はどうですか?



現代語訳 読んだ事ない方は、
死ぬまでに一回は 本屋さんで現代語訳を探して
読んでみてください。

それでですね、特に その比喩、たとえ話なんかを
頭の中で映像化してみてください。

「スゴイ」です。

大スペクタクルが お経の中で踊ってます。

大地が割れて 仏様がドーンと出てきたり、
空から降ってきたきれいな花が 菩薩の着物にペタペタくっついたり、
スピルバーグ真っ青です。

しかも、スペクタクルばかりじゃありません。

ヒューマンストーリーはもちろん、ミステリーも オカルトも、
コメディーも、ラブストーリーもあるかもしれません。



お経は、そんな楽しみ方でもって読んでいくといいんじゃないかと思います。



額にシワ寄せてお経読むのは、
学者と 怪しい宗教のパフォーマンスに任せておけばいいんです。

岩波文庫『法華経』なんかの くだくだしい現代語訳は、
自分で超訳しちゃえばいいんです。



そして、経には、私たちが幸せになるためのヒントが、
これでもかってくらい満載に書かれている
わけです。



2000年前の作品にですよ。

しかもしかも、みんな「如是我聞」って言って、
お釈迦さんから聞いたってことになってる。

あんなにすごいお経本、哲学書、道徳書、科学書、小説、エッセイを
実は、あれ書いたの 俺なんだ、俺が考えた話なんだよ」って
誰も言ってないんです。

これまた 仏教の「スゴイ」なんです。



これってどういう事なんだろうかと考えると、

経典まとめた人達は、ブッダの教えが 大好きだった。

だから お経を編集、作るのが楽しくてしょうがなかった。

自分の名前なんか どうでもよかった。

伝え聞いた「如是我聞」の話を いろんな人に教えたかった。

尊敬する、敬愛する、自分のヒーローである ブッダの名に寄せて。




それだけ ブッダって 求心力を持ってたんだ、かっこよかったんだと思うんです。






今日は、ここまで!