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徒然なるままに その19

そういえば、先ほど、「私が敬愛する」って言った、
大久保先生と三崎先生、
ふたりとも挨拶や法話のおしゃべりが下手くそでした。



起承転結なし、終わり方も いつも中途半端だったんじゃないかと思います。



ただ、両先生とも いつも違う内容のお話・ご挨拶で、
一生懸命聞いていると すっごく面白くて、ためになって、
必ず感動がありました。



両先生の頭の上には いつもアンテナが張ってあって、
いろんな事に たくさん感動して、
それを私たちに伝えようとしてくれていたんでしょうねぇ。

本当にありがたい事です。






ただ、私にとって、この事は 副作用があるんです。

今度は 深刻な副作用です。

それは、人には 必ず 別れが来ます。

檀家さんと 住職・寺族の関係が濃くなってくると、
その人、或いは 関係者のお葬式の時、
平静でいられなくなる、
悲しくなってしまうんですよ、私はネ。



単に、年取って 涙腺にしまりが無くなってしまってるだけかもしれませんが、
その人の思いっていうか、そんなものが
背中に 「ズンッ」と来る感覚。






お葬式ばかりじゃなくて、別の形の別れ、
転居やなんかでも同じですけどね。

それじゃダメなんですけどね。

悲しみは悲しみ、寂しさは寂しさとして、
もっと冷静にお葬式しなくちゃ 
お別れを言わなくちゃだめだと思います。

感情移入するお坊さんの方がありがたいって
言ってくれる方もいるんですが、
私のポリシーからすると、そうじゃない。



ブッダだったら と考えて、
淡々と、
心を込めて、
愛情を精一杯こめて 
お勤めさせていただく事。



そうしないと、相手に 真の安心を与える事はできないと
私は思っています。

僧侶なんだから!

ブッダの弟子なんだから。



私は、まだまだ 修行が足りません。


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徒然なるままに その18

ところで、私は、5分間法話とか、3分間法話とか、
苦手で嫌いです。

誰とは言いませんが、東京の向こうのある教区の偉い先生から、
「法事の後の法話は 3分以内で」
って言われて、そうしていたんですが、
どうにも伝えたい事が伝えきれない。

時間ばっかり気になって、話の中身が 中途半端になってしまう。






そこで、もうだいぶ前から 時間無視のしゃべりに切り替えたんですが、
そしたら 聞いてる人に 私の話が伝わるようになってきたんです。



内容によっては、1分で終わる事もあるし、10分かかる事もある。

ただ、ひたすら 一生懸命、
私の仕入れた知識や、それに伴う感動を伝えようとして話せば、
話は下手でも、
聞く人は 結構 一生懸命 聞いてくれるようになるもんです。



そればかりか、話してる最中に、
笑や 涙や チャチャが入る事もあります。



私の話に質問したり、感想を言ってくれる人が増えてきて、

以前、檀信徒会さんのお招きで、
4部の常安寺さんでお話させてもらった時なんか、
聞いてくれてた総代さんの一人から お手紙までもらっちゃいました。



私の自坊 吉祥寺では、ご批判も含めてですが、
法話や挨拶文について、
電話やお手紙 結構もらいます。

嬉しくなっちゃいます。

みんな、私の大切な宝物です。






何ていうか、
聞いてくれている人と しゃべっている自分の関係が、
檀家さんと 坊さん・住職 を通り越して・・・、

そうですねぇ、
対等な友達になったような感覚なんです。

誰でも 友達には 幸せになってほしいと思います。

だから、その人の事を想って、
どんどん一生懸命に損得ナシのアドバイスをして、
その人が元気に毎日を送っている事を知ると、
私にもどんどん嬉しさが増えていきます。

実は ブッダもそうだったと思うんですよ




今日は、ここまで!


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徒然なるままに その17

さて、布教師さん自身が感動して 「スゴイ」って思った話、

そんな話を聞いた聴衆が どう思うか、
どう自分を評価してくれるかなんて、

布教師さん、特に若い布教師さんや おしゃべりがへたくそな布教師さんは
考えなくていい!
・・・・・・と思います。




どうせ あと 40~50年もすりゃ、(自分も含めてですけど、)
誰も生きちゃいやしねぇんだから、
何言われたって 気にする事は無い。

「2人 3人にバカにされても、あと地球には60億人いるよ」
って、島田洋七の 『佐賀のがばいばあちゃん』は言ってます。

ただ、聞いてる人の、ひとりでもふたりでも
幸せな気分にさせられれば大成功。

たとえそれが、あんな奴になりたくない、
瀧川の言ってる事は変だから 俺は瀧川と反対の事をして成功する、

なんて話した、私や布教師さんの感動を否定したり、
そんなふうに 布教師さんが反面教師になったとしても、です。






それぐらいに 肩の力を抜いて おしゃべりすりゃいいって事です。

おしゃべりの技術は必要ですが、
でも、その前に、

人に伝えたくなるような いろんな感動を たくさんする事の方が
ズーっと大事
だと思います。






そして、あとは 自分の感動に自信を持つ。



マイケル・ジャクソンが 有名な言葉を残しています。


みんな自分の能力を疑いすぎるんだ。

 自分で自分を疑ってたんじゃ、ベストは尽くせない。

 自分が自分を信じなかったら、誰が自分を信じてくれるんだ


って。


この マイケルの残した言葉、今日ここにいる皆さんには、
ぜひ覚えて欲しい言葉のひとつです。






「何々に書いてある」「偉い先生が言った」を布教するんじゃなく、

(本や先生の講義に、本気で感心したり、感動したんだったら いいですけれど、)

自分が人に伝えたい事を 一生懸命 話せば、必ず伝わりますから。

心配しなくて大丈夫です。

自分の能力を疑わない、自分を信じて、

関わる人達に 幸せになってもらう、すごい事だと思いませんか?



それをできる位置にいるのが 布教師さんであり、 
それが 布教する醍醐味です。




今日は、ここまで!


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徒然なるままに その16 ☆

また話がズレちゃいますが、
天台宗の「台」って 踏み台の台じゃなくって、
≪星 ☆≫ っていう意味でしょう。

改めて こんな事 言わなくても、
知ってるよー」って叱られちゃうかもしれませんけど、

皆さんは

天台宗って お空の お星さまの 宗派だよ

って 檀家さんや 信者さんに
ちゃんとお話してますか?



中国大蘇山 惠思禅師の 普賢道場で、

 法華三昧を修行し、

 初旋陀羅尼を得て、

 円融三観を悟ったチギ禅師が、

 天台山を拠点に確立した宗派が天台宗です。



 天台山でできた教えだから 天台宗なんです。

 それを伝教大師が 日本にお伝えになって、云々かんぬん




なんて、頭の固い学者や、知ったかの宗教政治家あたりが、
したり顔で言ってるような事を・・・

あっと、失言です。 今のとこ、忘れてください。

でもまぁ、
そんな観光案内や、安物の素人が書いた仏教解説書に載ってるような事を、
皆さんの檀信徒さんに言ったって、
誰も食いついてきませんよ。



第一、「天台宗」っていう言い方を 
天台大師さんは していませんし、

一説によると 「天台宗」っていう言い方は、
六祖荊渓大師湛然さんが初めて言ったとか。

その孫弟子が最澄さんだから、と すればね、
最澄さんの頃、
「天台宗」って呼び名は できたてホヤホヤだったわけです。





まぁ、そんな事は 今はいいや!

天台宗は 空に輝く星の宗派です。

 だから 星の数だけ いろんな教えがあって、
 皆さんを幸せにできる。

 皆さんを 幸せにしている教えは
 全部 天台宗の教えなんです。

 みんなOKなんです


って言わなきゃダメです。



そうすれば、

「何てロマンチックで、雄大で、優しくて、
 懐の広い宗派なんでしょう!」

ってんで、檀家、信者獲得、バッチリですよ・・・・・・だぶん。



今日は、ここまで!


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徒然なるままに その15

このケム巻き私論に、ちょっとだけ補足します。

私にとってのヒーローはブッダですけど、
皆さんは 誰をヒーローに選んでくれても構わないと思います。

「理想のヒーローが お釈迦さんや伝教大師さんじゃなきゃ
 坊さん辞めちゃえ」
なんて 誰も言いませんから。

坊さんだって、
坂本竜馬だの EXILE(エグザイル)の誰かをヒーローにしたっていいんですよ。



なぜなら、その人が感動した、
坂本竜馬や EXILEの 名言やらパフォーマンスは、
大なり小なり、
ブッダの教えに通じていると
私は考えているんですよ。

だって、感動したんでしょ、
言葉やパフォーマンスに 心が揺さぶられたからですよ。

そのドキドキ感、ワクワク感が
仏教が目指すものじゃないでしょうか。



ブッダの教えは、
仏教とか、宗教とか、
そんな枠、セクト主義なんかで考えたら だめじゃないかと 
私は思ってまして、

もっと大きなもの、

逆に言えば、
ブッダの教えは
そんじょそこらに いくらでもある。

この世は 仏教だらけ。




大切なのは、、それを感じて、知る感性です。

そして、ひとりひとりの人が 幸せになっていく、

それを悟りといっても構いませんが、

それが大事な事なんだと思います。



偉人の言葉言霊なんていいますけどね)、

生き方、信条、全部仏教

ブッダの教えに当てはまると 私は思っています。






そして、こんな大きな事が言えるのは、数ある宗教、宗派の中で、

実は、仏教の教えだけ、天台の教えだけだ という事、

天台本覚論の中の諸法実相」ってんです。

私たちは、この天台宗の一員なんだという事を
誇りにしていいと思います。



今日は、ここまで!


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