まあ私の場合は天秤火星だからややこしいな。美学は確かにあって、醜いものは存在すら自分の中で消したくなる。「時間の無駄」だとよく思う。それはルミナさんの本にも書いてあったが腑に落ちる。
ちなみに醜いってのは姿形ではなく、どちらかと言うと心の有り様のほうだな。まあ心中の状態は外にも出るというのが持論だけども。
…あまり言うとブーメランになるから怖いな…
バグは夜更け過ぎに 仕様へと変わるだろう
再現無い 懲りない
きっと意味はもう無い 一人きりの再現テスト
際限無い 本人いない
ネスト深~く 処理も重い 軽くなりそうもない
必ず今夜なら 言えそうな気がした
ソースが無い 仕様も無い
《推理》わ~い!雪だあ!と雪にダイブした鳥がそのまま雪の感触を楽しみながら歩いて去っていった?
他の推理ありますか? pic.twitter.com/uBEA1OOp5S
シンネンを占う(1) - シンボル日記 (id:sugar39 / @sugar_su) d.hatena.ne.jp/sugar39/201412…
→ヘイトスピーチ周りの言及は非常に疑問。これは日本側のみの問題だろうか?
あと一部の所業を日本全体の反応と見るのは強引に過ぎる。
歴史修正主義というが、そもそも日本が先の戦争で敗戦した時点で、その歴史とは勝者の論理と理屈で構成されたものだ。
日本は本当に「侵略」戦争を仕掛けたのか?そういう歴史にしたほうが、米国はじめ中国にも都合よく、当時「仲間」として共に戦った朝鮮(後に分裂)にも良かっただけの話だ。
誰の心の中にも差別心があり、影がある。それはその通りだろう。だがそれは日本人だけの話なのか?先だっての大戦で戦犯は勝者の法廷で裁かれ、その倍賞も払った。しかし罪を償った兵士達をいたわり頭を下げるだけで何故隣国に叩かれるのか。作り話で誇張された慰安婦問題で謝罪をせねばならないのか。
上っ面の謝罪というなら、隣国や米国の所業もまた「上っ面」だろう。しかしそれは外交としては双方間違っていない。そもそも「感情」を公的の場でいつまでもあげつらうことこそが「きりがない」し、それこそヤクザの「どう落とし前つけてくれるんや」という恫喝にすぎない。
日本の清廉潔白とした凛とした姿勢や、謝罪すべきは謝罪せよという美しい姿勢は、残念ながら海外では通用しない。そもそもその「謝罪」という意味の重さ深さは、日本とは比べ物にならない。謝罪すれば日本人は「もういい」と思うが、謝罪した存在の子々孫々まで殲滅してよい、と思うのが海外の理屈だ。
ヤクザに取り囲まれてビクビクしながら「すみません、すみません」と言えば許されるというのは、米国が力を喪いつつある現在では通用しない姿勢と考えてもいいだろう。日本人はもっとしたたかになって、にこやかに強くずるくなる必要があるのだと思う。アセンダント近くの冥王星はそれを示唆している。
ちなみに、在特会のような酷い差別用語をまき散らす存在は、双方の憎悪を煽り分断を狙うものたちが仕掛けたものではないかと、私は最初から疑っている。街宣右翼が本来の右翼ではなく、他国人で構成された「一般人に、右翼に対しての嫌悪感を覚えさせるもの」であるのと同じく。
少なくとも私は最初から、彼らの所業は同じ日本人として断じて許しがたく、恥だと思っている。そして大多数の一般人も同じ感想を抱くのではないか?
自らの抱く感覚を信じて欲しいと思うし、その一方で実は今まで信じていた常識や歴史こそを疑って欲しいと願ってやまない。
あの12ハウスの、アセンダント近くの冥王星は、「他の誰か」の日本人に対してだけじゃない。貴方の、そして貴方の周辺の心にも深い言葉を投げかけているんだよ。他人ごとで考えている以上、その言葉は届かないだろう。
冥王星は毒薬なんかじゃないよ。
(´-`).。oO(…てか日本だってさんざん中韓からヘイトスピーチ食らってるよね…ずっと前から…。日本人は何も言わずに我慢してただけなんだよ…。改めるべきはその『事なかれ主義』にこそあるだろう…)
てか日本人ってのは、基本的に戦うことが苦手なんだろうなと思う。戦うことが嫌で、大陸から逃げてきた人たちの子孫じゃないかとまで思ってる。
狭い国土で和を尊び、圧力的なまでに「空気を読んで」戦う事を避けて、平和に協力して過ごしてきた民族が、どうしてあの無謀な大戦に参戦したのか。
その辺りは単なる侵略だからと言い切るには、あまりに突飛というか、断絶しすぎてるんだよね。昔の資料や映像を見ても、文献を見ても、どう考えてもその「無理やりな後付け」の方が目立つ。
国の数だけ正義があるし、いつも歴史は勝者のものだ。あてにならないよなホント…。
神話を見てても、基本的に戦うことが苦手で、大きなものに依存する癖があるのと、「外部から来た存在」が神さまとして、外から来た存在と戦ってくれる、という傾向があると思う。これは日本列島の地政学的な話も絡んでくるんではないかなあ。
鬼を制するのは鬼。という。
そして制した鬼もまた厄災を受けて流されるか、英雄として同化するか。
1815年頃のフランス製天文時計。全高およそ70cm、台座直径35cm。某古美術商の店頭に並ぶもすでに売却済み。価格不明。こういうのを見ると、いつぞやのファーガソン・レプリカを安く感じてしまうのです。桑原桑原。 pic.twitter.com/ySsjwG07Ir