兄が弟建沼河耳命に「仕奉<ツカヘマツラム>」と云ってそれで「めでたし、めでたし」になったと思いきや、次にどうしてかわ分からないのですが、その3兄弟の説明がしてあります。
まず、長兄「日子八井命」の子孫の藩衍についてですが、先に見てきたようにこの皇子は書紀にはありません。古事記でもその義兄「当藝志耳命」を殺する時には出てまいりません。それなのにどうしてここにその名があるのかは不明ですが。その祖となったのは「茨田連・手島連」だけです。
続いて「神八井耳命」ですが、この人の藩衍については「臣、連、君、造、直、国造」など多くの祖になったと長々と説明がしてあります。
そして、ご丁寧にそんなことは説明が無くてもと思える「神沼河耳命」についても
“神沼河耳命者治天下也”
<アメノシタシロシメシキ>と記されております。
何故、此処で、わざわざ、稗田阿礼は「日子八井命」をご丁寧に取り上げたのでしょうか。書紀にあるように、あまり取り上げる必要はないのではと思われるのですが、その論拠も分かりません。まさか、そんなほんの少し話として残っていたのでしょうか、それを稗田阿礼だけが、何処からか小耳に挿んでいたのかも知れませんが。???それとも、書紀との違いを少しでもと思われてわざと創造したのではとも思われますが???
でも、そこら辺りの記述が、読む者をして、また、感動を呼び起すもとになっているのかもしれませんが・・・・・
どう思われましょうか????ご意見をどうぞお寄せください。お願いします。
まず、長兄「日子八井命」の子孫の藩衍についてですが、先に見てきたようにこの皇子は書紀にはありません。古事記でもその義兄「当藝志耳命」を殺する時には出てまいりません。それなのにどうしてここにその名があるのかは不明ですが。その祖となったのは「茨田連・手島連」だけです。
続いて「神八井耳命」ですが、この人の藩衍については「臣、連、君、造、直、国造」など多くの祖になったと長々と説明がしてあります。
そして、ご丁寧にそんなことは説明が無くてもと思える「神沼河耳命」についても
“神沼河耳命者治天下也”
<アメノシタシロシメシキ>と記されております。
何故、此処で、わざわざ、稗田阿礼は「日子八井命」をご丁寧に取り上げたのでしょうか。書紀にあるように、あまり取り上げる必要はないのではと思われるのですが、その論拠も分かりません。まさか、そんなほんの少し話として残っていたのでしょうか、それを稗田阿礼だけが、何処からか小耳に挿んでいたのかも知れませんが。???それとも、書紀との違いを少しでもと思われてわざと創造したのではとも思われますが???
でも、そこら辺りの記述が、読む者をして、また、感動を呼び起すもとになっているのかもしれませんが・・・・・
どう思われましょうか????ご意見をどうぞお寄せください。お願いします。