私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ジンムの御陵は・・・

2019-10-06 07:00:09 | 日記
 137歳でお亡くなりになられたジンムのお墓ですが、古事記には

         “御陵在畝火山之北方白檮尾上”
      <ミハカ ウネビヤマノキタノ カタカシノ オノウエニアリ>”

 と書かれてあります。それが日本書紀には

         “葬畝傍山東北陵”
      <ウネビヤマノ ホクトウノ ミササギニ オサメマツル>

 とあります。
 古事記では、「陵」は<ハカ>、書紀には<ミササギ>と書かれていますが、先日、平成天皇の退位に先だって「神武天皇陵」にその報告を兼ねて参拝されましたが、其の記事を見てみますと、「陵」は、「ヤマ」でも「ミササギ」でもなく、<リョウ>でした。なお、その「陵」がある場所ですが、記紀には、夫々。「畝火山之北」と「畝傍山東北」とありますが、新聞等の報告によると、其の位置が、「奈良県橿原市大久保町にあり」だとされて、記紀のうちのどれに当たるのか不明ですが???

 なお、これも蛇足ですが、この「陵」につて、先に挙げた「大宝令」職員令に「諸陵司」の条に

           “正一人。掌祭陵霊・・・・”

 とあり、「その長官は御陵の霊を祭り・・・」で、御陵を守る役人が奈良時代には既に置かれていたと云う事が分かります。今でいう宮内庁の役人の仕事の中に

   “凡先皇陵、置令守”

 とあり「<ハカバン>を置いて守衛せしめ」とあり御陵を守る役人が置かれていたのです。