私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

高御座<タカミクラ>から現代を考えて・・・

2019-10-23 06:47:35 | 日記
 昨日の「即位の礼」をテレビ観戦していたのですが、その中、特に、あの「高御座」の豪華さに目を引きました。何時頃からこのような形式で摂り行われてきたかその起源は分からないのだそうですが、奈良時代の元明天皇の頃からではないかと多くの歴史家は考えているようです。
 その造りは「古事類苑」と言う本によると

 「高御座は三層の継壇の上に八角形の屋形を立て、それには頂上に金鳳、八棟の端にも金鳳と玉幡、軒一辺毎に五面の鏡と唐草の飾あり、屋裏にも鏡がある。上には金銅唐草の帽額と蛇舌の装飾あり、中に繧繝緑畳、大和錦龍鬢土敷の上に大和軟錦毯代、東京錦御茵を敷き、御倚子を置く。」

 とあります。そして、更に、天皇の衣裳についても、

 「天皇袞龍御衣の御禮服で御し・・・」

 とあり、昨日の式で着用された「黄櫨染御袍」とは違う衣裳が元明天皇の時代には着用されていたらしいのですが???
 なお、今朝の新聞に「高御座」は天孫降臨の時から使われていたのだと説明がありましたが、それは間違いで、中国の制度が沢山日本に入ってきた奈良時代ごろから使われたと云うのが正しいのです。
 又、この「高御座」は、上から下を見下げる様になっていて民主主義の制度に反するなどと主張する人もいるのだそうですがこれもいかがなものでしょうか。千三百年の歴史がこの高御座には籠っており、それを日本の伝統として後世までに引き継ぐのも、現代の日本にとっては大切なことではないでしょうか。この制度があるから民主主義の社会が壊されるんて事は決してありません。

 そんなことを今朝から考えております・・・八十三歳のひまな年寄りのしそうなことですが???

[繧繝緑畳、大和錦龍鬢土敷の上に大和軟錦毯代、東京錦御茵]とは

           

 の様な敷物です。