戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

土方歳三

2004年12月26日 | 戊辰戦争人物小伝
【1836-1869】
武蔵国多摩郡石田村の出身で、十一歳のとき天然理心流近藤周助の弟子となる。江戸試衛館の師範代となり、文久三年に将軍上洛のさいに護衛する
浪士組に近藤勇・沖田総司らとともに加わる。上洛後は清川八郎に反発して浪士組と離脱して、壬生にて芹沢鴨を局長とする浪士組を結成に加わる。
芹沢らを粛正後局長近藤勇らを助けて、元治元年の池田屋事件などで一躍新選組の名をとどろかせる。慶応四年の鳥羽伏見の戦いに敗北後は海路にて江戸に向かい、近藤勇ら新選組が甲陽鎮撫隊と名を変え甲斐に進む。そこで板垣退助らの部隊の別働隊に敗れ、近藤勇が処刑されたあと大鳥圭介らと合流して、北関東、会津、蝦夷と最後まで新政府軍と戦う。明治二年五月五稜郭の近くで戦死する。

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