戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年七月二十八日 板垣退助日誌

2005年07月28日 | 板垣退助日誌
板垣退助ら新政府軍は中畑・須賀川にいた会津兵・仙台兵と交戦する。

中畑、須賀川にいた会津兵・仙台兵が土佐藩・彦根藩・館林藩・三春藩が交戦する。

土佐・大垣・彦根藩兵が敵を敗走させたところで、須賀川口より襲撃の敵とぶつかった館林藩兵はこらえきれず、応援を求め
彦根。土佐藩兵から各一小隊を派遣しこれを、敵を敗走させる。
敵を敗走させた後、敵が仁井田村において出没したとの報が入り、土佐藩は二小隊と彦根藩は一小隊を派遣して、小阪の険において衝突し
新政府軍は奥羽越同盟軍を破り、同盟軍は小峠を越えて敗走させる。

奥羽越列藩同盟軍は明け方に千人ばかりの兵をもって本街道・会津口・郡山口の三方より、新政府軍を攻撃する。
新政府軍はこれに応戦し本宮の陣地を出て、同盟軍を追撃する。
新政府軍の死傷者は二十名、一方仙台藩兵は戦死者四十二名、戦傷三十四名という。