沼間慎次郎が第二次今市の戦いで板垣退助らに敗れて、その配下の加藤麟三郎が捕まる。板垣退助は加藤麟三郎に尋問し、その加藤が「自分は沼間慎次郎のために戦う」
といったことから、板垣退助は敵ながら沼間慎次郎に興味をもったという。
板垣退助は大鳥圭介の死を悼んで寄稿文を送った。その中でも「大鳥はまず道を普請してから来るのでたいして怖くはないが、沼間はどこから襲ってくるのかわからないので、こちらのほうがよほど怖かった」と評したという。
明治二年、沼間が英語をおしえため塾を開いたが、それが政府転覆を図るため同士を募ると疑われて、新政府が彼を捕縛されそうになる。
このことを聞いた谷干城は、板垣退助らと相談の上、沼間を土佐藩に招聘することを決める。沼間はこの申し出に、「自分は徳川のために兵術を修めたのであって、これを敵だった貴藩に伝習するのは情において忍びない。自分の片腕である松浦巳三郎を推薦するので、彼を兵の教育にあたらせてくれ。自分は英語を教えよう」と丁重な返答をする。
そして、明治四年の廃藩置県になるまで、沼間慎次郎は土佐藩邸で英語を教えていたという。
戦場で敵として死力を尽くして戦った相手に、このような友情が生まれることもあるとは驚きである。果たして二十一世紀の戦場ではこのようなドラマがうまれようか。
といったことから、板垣退助は敵ながら沼間慎次郎に興味をもったという。
板垣退助は大鳥圭介の死を悼んで寄稿文を送った。その中でも「大鳥はまず道を普請してから来るのでたいして怖くはないが、沼間はどこから襲ってくるのかわからないので、こちらのほうがよほど怖かった」と評したという。
明治二年、沼間が英語をおしえため塾を開いたが、それが政府転覆を図るため同士を募ると疑われて、新政府が彼を捕縛されそうになる。
このことを聞いた谷干城は、板垣退助らと相談の上、沼間を土佐藩に招聘することを決める。沼間はこの申し出に、「自分は徳川のために兵術を修めたのであって、これを敵だった貴藩に伝習するのは情において忍びない。自分の片腕である松浦巳三郎を推薦するので、彼を兵の教育にあたらせてくれ。自分は英語を教えよう」と丁重な返答をする。
そして、明治四年の廃藩置県になるまで、沼間慎次郎は土佐藩邸で英語を教えていたという。
戦場で敵として死力を尽くして戦った相手に、このような友情が生まれることもあるとは驚きである。果たして二十一世紀の戦場ではこのようなドラマがうまれようか。