戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

大鳥圭介より板垣退助を苦しめた沼間慎次郎

2005年07月23日 | 管理人の勝手な独り言
沼間慎次郎が第二次今市の戦いで板垣退助らに敗れて、その配下の加藤麟三郎が捕まる。板垣退助は加藤麟三郎に尋問し、その加藤が「自分は沼間慎次郎のために戦う」
といったことから、板垣退助は敵ながら沼間慎次郎に興味をもったという。

板垣退助は大鳥圭介の死を悼んで寄稿文を送った。その中でも「大鳥はまず道を普請してから来るのでたいして怖くはないが、沼間はどこから襲ってくるのかわからないので、こちらのほうがよほど怖かった」と評したという。

明治二年、沼間が英語をおしえため塾を開いたが、それが政府転覆を図るため同士を募ると疑われて、新政府が彼を捕縛されそうになる。
このことを聞いた谷干城は、板垣退助らと相談の上、沼間を土佐藩に招聘することを決める。沼間はこの申し出に、「自分は徳川のために兵術を修めたのであって、これを敵だった貴藩に伝習するのは情において忍びない。自分の片腕である松浦巳三郎を推薦するので、彼を兵の教育にあたらせてくれ。自分は英語を教えよう」と丁重な返答をする。
そして、明治四年の廃藩置県になるまで、沼間慎次郎は土佐藩邸で英語を教えていたという。

戦場で敵として死力を尽くして戦った相手に、このような友情が生まれることもあるとは驚きである。果たして二十一世紀の戦場ではこのようなドラマがうまれようか。