戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

慶応四年七月二十八日 三春城は無血開城される。 板垣退助日誌

2005年07月27日 | 板垣退助日誌


守山藩が降服する。

板垣退助は本宮を占領する。土佐藩に増援を求めて迅衝隊を離れていた谷干城は白河に到着する。

板垣退助ら新政府軍は高木に進み、阿武隈川を挟んで本宮の奥羽越列藩同盟軍と銃撃戦を行う。新政府軍側には河を渡ることが出来る舟がなく
土佐藩の断金隊が河の中に飛び込み、渡ろうとするが隊長が銃弾を受け戦死する。
黒羽藩の隊長渡辺福之進と益子四郎が河へ飛び込み対岸の敵舟を奪おうとするが、同盟軍をこれを邪魔をして寄せ付けず、
黒羽藩兵の砲が河岸に押し出して激しく砲火を加え、隊長の渡辺はようやく二艘の舟を手に入れ敵前渡河を決行する。
新政府軍は増援してこれを援護し、同盟軍も仙台藩兵が続々と救援を駆け付けるが、火力で勝る新政府軍が同盟軍を
け散らし、同盟軍は高倉村へ退く。
阿武隈川を渡った新政府軍は本宮を占拠し、本宮の北方の本街道を忍・黒羽・土佐藩、西の会津口には大垣藩、南の郡山口を彦根・館林藩が宿営する。

迅衝隊の大軍監谷干城はこの日新たに五小隊を率いて高知より白河に到着する。